港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京在住(石巻出身)オーナーYがゆるーく情報発信しています。

門脇でテニス!

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2020年に休止したテニスを再開した。わが家(門脇の旧家のほう)があった場所の目の前、日和山の南側にある石巻ローンテニスクラブで、だ。

2020年の夏でいったん辞めた。コロナ禍初年度でまだ店を始める話すら出ていない頃だ。緊急事態宣言下となった春から在宅勤務が多くなったのをいいことに、通っていたテニス倶楽部のレッスンをガンガン入れたら、やり過ぎのせいか膝を痛めた。夏真っ盛りの午後、レッスン中に膝の感覚がなくなり急に走れなくなった。どこか腱や靭帯でも切ったかと思って整形外科で診てもらったら膝の軟骨がボロボロで神経を痛めているとのことだった。膝に溜まった水を抜きヒアルロン酸注入の治療を続けた(ヒアルロン酸はあまり効果がないと後で聞いたのでやめた)。店の開店準備を始めてからは週末の用事をすべてキャンセルすることにして倶楽部に休会届を出した。

膝の調子がよいときにバッティングセンターのオートテニスで汗を流したり、ソフトボールチームのテニス仲間とコートを借りて遊んだりはあった。昨年末から本格Uターンに向けた準備を進めるなかで「やっちゃえ」とばかりに、ラケットを持って週末午前中に行ってみたらすぐ仲間に入れてもらえた。前日に深酒したかどうかにもよるが、土曜や日曜の午前は基本的にフリーだ。そこを使えばよい。

知り合いなど誰もいないと思ったら、倶楽部オーナーの本間さんが「孝子さんの甥っ子さんです」と紹介してくれた。孝子とは母の妹で、小さい頃から隣に住んで可愛がってくれた叔母である。震災で亡くなった(行方不明)。中2の頃に「あんださテニス教えてけっから」と、まだ開業して間もない石巻ローンテニスクラブに連れてこられ、ウッドラケットの振り方やボールの打ち方を教わった。当時はバレー部で部活が忙しくテニスをする機会はそれほどでもなかったが、学校では誰もしていない硬式テニスをやってることが楽しくて、叔母の誘いを楽しみにしていた。通っていた塾の先生もいて「ほどほどにしろよ」とからかわれたり、高校時代には倶楽部メンバーの社長さんにアルバイトをお願いしたり(スキー教室の費用捻出。真冬の魚すり身工場でのバイトは死ぬほどつらかった)。

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震災直後、がれきに囲まれ遺体捜索が進む門脇地区のど真ん中でポーンポーンとボールを打つ音が聞こえると「こんな状況でテニスなんか」と思わないでもなかったが、昔からよく知っている倶楽部なので複雑な思いだった。あれから10年。封印とか解禁とかではないが、「ここでテニスをやろう」というアイディアか自然と浮かんだ。10年かかったのかもしれない。

テニスをしていると、近くに住む知り合い(昔のご近所さん)が手をふってくれる。テニスが終わればクラブハウスで昔話に花が咲く。こんなに楽しいことはない。

どうだろう、ここで働けないだろうか? 昼はクラブハウスで管理人(時々テニス)、夜は山小屋。なんて贅沢な暮らしだろう。冗談半分にしても、そんな生活を夢想しているのは確かだ。東京で会社勤めしている場合じゃない。早くここに戻りたい。山小屋をやったおかげで、この心境になれた。早く石巻に住みたい。帰りたい。でもそのためには身辺整理が…。やれるかどうかわからないが、じっくり考えてみよう。