港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

三種の神器 その2〈ラジカセ〉

 

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ラジカセへの執着は小6ですでに見られた。夏休みの子供会ラジオ体操で、会場にラジカセを持って行くのが班長の役目で、20人ほどの子供が集まる広場にラジオ体操の声が響き渡るように、できるだけスピーカーが大きいラジカセを持っていったほうがよい。うちには小さなポータブルラジカセしかなかったので、隣に住む叔父が持っていた短波ラジオが聴けるラジカセを借りた。スピーカーは16センチモノラル、確かNEC製だったと思う。もちろんオーディオ機器という認識ではないが、家の電化製品を他人に見せることになり、見栄を張りたくなったのだ。テレビにしろ冷蔵庫にしろ、大きい家電はその財力を示していた。

中学になりバレー部の連中がやたらラジカセやカセットテープにこだわる気質で、話を合わせるためにいろいろ勉強した(音楽の話題は中島みゆきとかだったが)。そして中2の年、あのCMがテレビから流れてきた。

https://youtu.be/LJGIhFNnaPA

シャネルズの歌う「ランナウェイ」の曲をバックにamtrakの列車が駅のホームに入ってくる映像はなかなかカッコよかった。アメリカという未知なる国への憧憬が湧き上がり、このラジカセでグッドミュージックが聴きたい欲求がやおら芽生えた。「何を聴く」ではなく「何で聴く」だったのだ。

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当時のポスターを見ると、メーカーのパイオニアはラジカセと呼ばず「ポータブルステレオ」と呼んでいたようだが、中坊にはそこまで伝わらなかった(笑)。三種の神器の一つはどこまでも「ラジカセ」だ。

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ひゃー、一番安いモデルでも59800円もする。中坊に買える代物ではない。パイオニアはかなり高級路線を行っていたようだ。手に入れるには親にねだるしかなく、5万は切りたいところ。市内にあった家電店を片っ端から見てあるいた。東芝、日立など白物家電メーカーもボンビートやパディスコなどのブランドを揃えていた。こちらもソニーやパイオニアなどのオーディオブランドとそれらを区別していなかったので、価格帯の中からスピーカー口径や出力ワット数の大きなものを選ぶつもりでいた。庄子デンキで日立がいいと店員に言ったら、わかってねーなという顔でソニーを勧めてきた。「あのね、数字じゃないよ。スピーカーの反応の良さで言ったらこいつだよ」と指差したのがこれ。

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うーん、カッコ悪い(笑)。70年代のクラシックなデザインに憧れていたので80年代の奇抜なデザインには抵抗があった。77のほうは20cmウーファー&フルロジックで59800円、66は16cmで42800円。最大出力はともに7w。家にSONY製品があるのも悪くないと66に決めた。中学で買ったのか高校で買ったのか覚えていないが、高校受験前に通っていた塾に77が置いてあり、欲しいなぁと思った記憶があるので、やはり高校で買ってもらったのかもしれない。

この66は良き相棒と呼んでもよいくらいに高校時代を共にした。別項で書くサンスイのステレオで録音したカセットテープを勉強中や枕元で聴いて過ごした。大学に入ったときも上京するのにテープの山とこの66を寮の部屋に持ち込んだ。大学3年の時にSONYのミニコンポを買ったあたりで手放したと思う。一人暮らしの部屋で聴くのにコンポがあればラジカセは要らない。

石巻のような田舎の家電店では、当時発売されていたすべてのメーカーのラジカセを比較検討することなどできず、メーカーに押し込まれた人気商品を買わされるのが関の山だろう。シャープ(ザ・サーチャー)、ナショナル(マック)、アイワ、ビクター、いろいろ比べたかったけれど、限られた条件、狭い選択肢の中で選ばざるを得なかった。とはいえ、日本の優秀な電化製品のどれを選ぼうとも、その時代に聴いた音楽に優劣がついたとは思えない。むろん自分の音楽的趣味に、絶対的な自信など持ち合わせていないけれど、あの時代、大好きなラジカセとともに好きな音楽に浸っていた10代の音楽生活をなくして今の自分はありえない。多感な10代を、レコードやFMラジオやFM雑誌やビルボードチャートなどとともに過ごしたことは、とても幸せなことだったと強く思う。