港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京在住(石巻出身)オーナーYがゆるーく情報発信しています。

今年も一箱古本市が開催

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10月15日、今年で11回目を迎える石巻一箱古本市が行われた。山小屋営業以前から「めめんと書房」として参加して今年で4回目となる。山小屋との同時営業は去年に続いて2回目だが、今年はさらにウクライナ料理Borschも同時営業だ。

去年はとても忙しかった。事務局からは「主会場から離れているのでお客さん来るかなぁ」と言われて、まぁのんびりやろうと思っていたら11時のスタートから来客がすごかった。駅から一番近いので仙石線を降りてまず山小屋に寄るのだ。来てくれた人にコーヒーをサービスすると決めていたので午後までずっと豆を挽いてコーヒーを淹れ、カウンター越しに本の代金を受け取るのを3時間ほど続けた。飯が食えたのは閉店して幟を返しに行った午後4時。いろんな人と出会えて、あんなに楽しいことはなかった。

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今年もコーヒーサービスは継続。思いがけず同級生のS子(本職は書店員)が手伝いを申し出てくれたので、だいぶ楽をさせてもらった。今年は挽いた豆を使い、アイスコーヒーにしたのでスムーズにサービスできたと思う。

本の売れ行きもまずまず。去年からの売れ残りに、東京自宅の蔵書を(引越しがてら)持ってきて補充したのがよく売れた。レヴィ=ストロースの『神話論理』を全巻買ってくれた若者もいた(売価の半額にしてあげた)。。
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めめんと書房の売りでもある「束見本」もほぼ完売。一年間で貯めた40冊を一冊100円で売り、ウクライナ人道支援金として供出させていただいた。
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Borschの3人は、いつも通りにボルシチ、ヴァレニキ、オリヴィエ、ムリンツィを販売。本を買いがてら店内でボルシチを食べていく客が多く、売り上げに貢献できてよかった。ウクライナ料理と古本の相性がよいのだろう。山小屋が一人取り残された感じだ(笑)。

夕方、幟を返して表彰式に参加。店番を手伝った助っ人3人が飲みに来てくれた。出店者も次々と予約が入り満席状態が続き、最後の客が帰ったのは午前1時過ぎ。朝9時から17時間ぶっ続けで働いたことになる。売上も開店以来最高額となった。古本市サマサマである。売れ残った本は店奥のキャビネットに置いて通年販売をする。来年はこれに補充すればよい。

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昨年の開店前は「東京の人がブックバーを開くらしい」と噂が立ち、なんだそりゃ?と訝しんだが、蓋を開けてみればそれに近い形態になってきている。自分のなかではめめんと書房(2019〜)と山小屋(2021〜)は別の事業体のつもりだったが、まさかの合体。たしかに二つも要らないので、どちらか一つを残したいところだが、今は決めきれない。商号が二つあってもいいんじゃないかと、今は思っている。

 

ウクライナ料理店とのコラボ開始

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石巻在住のウクライナ人男性と日本人女性パートナーによるテイクアウト専門店「Borsch(ボルシチ)」が、8月27日から山小屋店舗で営業を開始した。いわゆる“間借り”である。

今年3月にロシア・プーチンとの戦争が始まり、母国ウクライナから母と祖母を呼び寄せた二人は時の人となり、地元ニュースや新聞メディアに登場した。ロシアによる爆撃で破壊されたウクライナ(チェルニヒウ)の街が、震災で壊滅した門脇・南浜と対比され、「石巻で戦争を考える」という思潮が思いがけず醸成された。対岸の火事と思いがちな海外の戦争を我が事として深く知りたくて、何らか接点を持ちたいと考えていたら、知り合いの不動産会社から間借りを打診してきた。家族を支援をしている石巻に恩返しをしたいと、ウクライナ料理店を出店したいという。一も二もなく承諾した(もちろんオーナーにも断りを入れた)。

二人とは初回会った時から打ち解け、親しくなった。二人は元々タイ式マッサージのプロで、石巻で店をやっており、とにかく人当たりがよいのだ。ちょうど来店していた小学校同級生たちも異文化交流を楽しんでくれた。雑誌「石巻学」主宰者の大島幹雄さん(ロシア語が堪能)もたまたま来店してその日は賑やかな夜となった。

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震災後の石巻は、復興支援やボランティア人材が流入し、他力に頼らざるを得ない状況が長く続いたので、地方都市にありがちな外部の人間への拒否感が薄い町になった。外国人も同様で、とにかく受け入れが暖かい。ウクライナの戦争勃発当初も避難民受け入れに積極的だった(イベント好きな市長さんのようだ)。

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そういう状況下で間借りの話だったので、こちらも「石巻人」としての人情を発揮したという次第だ。また店側の人間としても、こういう営業形態を石巻の人はどう受け止めるだろうと興味深かった。

まだ始めて1ヵ月しか経っておらず、水曜と土曜の週2回営業のうち半分も立ち会っていないのでまだよく見えていないが、まずは成功しているという印象だ。開店当初はご祝儀もあるだろう。ボルシチやヴァレニキ(餃子)などウクライナ料理も、長く親しんでくれるかどうか。そもそも、いつまでこの営業を続けるのかーー。

ウクライナから呼び寄せた家族が祖国に帰れる日はやって来るのだろうか? 戦争は今も続いている。仮に明日終わったとしても復興の道のりは果てしなく遠い。このまま石巻に定住するのが得策かもしれない(当人が決めることだが)。

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未来がどうなるか、誰にもわからない。山小屋だっていつまでやれるだろう? そんなデラシネ同士が肩寄せ合って、場末の横丁で小さな店をやるのも悪くない。震災後の復興途半ばの石巻と、戦後復興の端緒にも就けていないウクライナとの共同作業、どうか温かく見守ってほしい。

山の日のアリバイ工作

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8月11日は山の日で祝日。山小屋店主が家でゴロゴロしていては笑われる。前日に仕事を終えて帰石する途中、どこかサクッと登れる山はないかとあれこれ調べたところ、泉ヶ岳なら仙台から地下鉄とバスで登山口まで行けることがわかったが、そのためには仙台に泊まらねばならず、石巻から近い山に方向転換。兄貴に相談して鬼首(おにこうべ)の禿岳(かむろだけ)に決めた。

12日金も休日、どうせなら一泊してツーリングも楽しむべしと朝9時にバイクで出発。鳴子から花山ダムを抜けて、途中で道を間違えながらも禿岳付近までたどり着いたが、先日の大雨で崩落したのか登山口までの国道が閉鎖されていた。

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昼の13時を回っており、今日の登山は無理かとトロトロ走っていたら、鬼首キャンプ場近くに「片山地獄入口」という看板を発見。このあたりは間欠泉が多いのだ。地熱発電所でも見てくるかと峠道を登っていくと「登山口」の看板を発見。荒雄岳という山らしい。ネット検索したら1時間ほどで登れるというのでここから登ることにした。

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詳細省略するが案の定きつかった。運動不足、100キロ近くまで増えた体躯には、いきなりの登山は無謀であった。それでもなんとか登頂して前方の栗駒山を眺望できた。あとは一気に下山、16時には登山口に帰り着いた。あとで分かったがこのあたりは鬼首カルデラと呼ばれ、この荒雄岳を中心に凹地を形成し、禿岳はその外輪山に当たる。兄貴によれば宮城の八ヶ岳ともいわれているらしい。山小屋店主のくせにまったくもって無知なのだ。

行きと帰りで別の登山道を通ったので県道に出てからバイクを置いた場所まで1時間ほど歩かされ、その間に登山靴の底がベロリと剥がれた。何年か前にボンドで補修したが限界かもしれない。でもまだ使えるぞ。

鳴子のコメリに行って600円の靴を買って履き替えた。そのまま鳴子温泉に投宿して翌日も温泉めぐり。国道398号で秋田に抜けるのは初めてで、なかなか面白かった。

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↑花山番所

 

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↑湯浜温泉(渓流沿いの一軒宿)


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↑泥湯温泉


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↑川原毛地獄

 

小安街道(398号線)は花山峠を挟んで温湯(ぬるゆ)温泉、大湯温泉、小安峡温泉と温泉が続き、皆瀬から泥湯温泉を抜けると108号線に出る。石巻から3時間もあれば来られるので日帰りにちょうどよい。秋は紅葉も楽しめそう。国道108号線の旧道「仙秋サンライン」も走るには楽しそうだ。川原毛地獄はもう一度見に来たい。

ということで何とか「アリバイ登山」を遂行できた。自信がついたとは言わないが、登山への気やすさが生まれたことは確かだ。秋が深まる前にもう一度チャレンジしたい。いつか、お客さんと一緒に山に登れたらよいのだが。

 

真野のチョドフェス

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友人Mが関わっているという“夏フェス”に行ってみた。石巻の郊外、京ヶ森の麓の山間部。バイクで30分ほどで着いた。真野(まの)地区は稲井のさらに奥、山の向こう側は雄勝になる。長閑な田園風景が続く土地柄で、好きな場所だ。f:id:bar_yamagoya:20220720141028j:image

日本の民俗舞踏、フォークデュオ、パフォーマンスアートなど趣向を凝らした出し物が歓声を集めた。

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楽しみにしていたエスニック料理も堪能した。ベトナムのサンドイッチ、バインミーピリ辛ソースが暑さを和らげてくれた。おにぎりランチプレートもおいしかった。

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お楽しみは、Mが率いているウクレレちんどんオーケストラ。まきあーとテラスの柿落としで演奏したのは知っていたが、実際に聴くのは初めてだ。ウクレレ、ギター、ウッドベースアコーディオン、リコーダーといった楽器をガシャガシャ演奏しながら、音程構わず大声で歌う。楽しそう。やってみたい。いま店でアルトサックスを練習しているので、吹けるようになったらチャレンジしてみよう。

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14時を過ぎたところでお暇(いとま)した。夕方の電車に乗って東京に戻らなくてはならない。友人Mに挨拶をして真野を後にした。

田園風景のなかをバイクで走るのは気持ちがいい。こんな土地で郵便配達やトラックドライバーなんかやれたら最高だ。そろそろ仕事探しを本格化するか。

平山郁夫さんのこと

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石巻市博物館で、日本画家・平山郁夫が描いた奥の細道展をやっている。芭蕉は松島から平泉に抜けようとして道を違え石巻に迷い込んだ。「奥の細道」にはその時のことを書いた章がある(大学の古典文学演習でレポートした)。ゆえに石巻は未来永劫「奥の細道」を題材にいろんな企画ができるわけで、今回の展示もそれにあたるのだろう。

でもまさか、奥の細道平山郁夫さんの取り合わせとは。そんな仕事をしていたことを知らなかった。

平山さん、とさん付けで呼ぶのは、「先生」と呼べる画家を選びたいからだ。美術雑誌編集時代にお付き合いしたなかで先生と呼びたいのは、高山辰雄先生、高塚省吾先生、佐々木豊先生の3人だけである(版元がバレバレだが)。平山さんとも何度かお話しを聴いたり、絵を頂戴に行ったりしたが、尊敬の念は特に芽生えなかった。日本画の伝統を継承するでもなく革新するでもなく、線や色彩もボヤッとして眠いせいもあるが、広島で被爆して原爆症で悩んだこと、東大を目指すほど秀才だったこと、前田青邨に師事したことの吹聴、自民など政府系団体の役職が多く政治家との繋がりが強かったことなど、作家性以外の属性ばかりが目立っていた。

東京美校(現藝大)で平山さんと同期だった某画家から聞いた話によれば、前田青邨の弟子という話はどうも違うようで、須田珙中(すだきょうちゅう)という院展助教授に師事していたのが珙中が病気で亡くなり、半ば引退していた青邨が珙中教室の学生の指導を引き受けたということらしい。その方は「平山の経歴から珙中先生が消されているのが許せない」と憤慨しておられた。「珙中門下」では華がない、ということなんだろう。それを聞いて、平山さんという人がなんとなくわかった気がしている。

まぁでも、話をするといろいろ話題豊富で、インタビューでも日本経済の話からサッカー日本代表の話まで、およそ日本画家とは思えない守備範囲の広さに驚かされた。インタビューを受けるのが得意で、自分を大きく見せる術を持っていた。

アンコールワット遺跡 夕陽」だったか、院展出世作リトグラフにしましょうと話して、色校正を持っていったりサインと落款をいただいたり、鎌倉二階堂の私邸に何度も足を運ばせてもらった。制作したリトグラフを200枚ほど持っていき、和室のテーブルに二人で座って、平山さんが「郁夫」と鉛筆で書き、僕が落款を捺す作業をしたこともある。1枚250万円の上代で印税が10%だからサイン1回で25万円。およそ画家の仕事ではない。それをやらせる版元も版元だが、今でいうWin-Winの関係を当代随一の画家と構築するのは並大抵でなく、社員を路頭に迷わせないためと思い頑張ってやったことだ。販路は専門の画商が数社、個人よりも法人の需要が多かった。社長室や玄関に飾られたことだろう。

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平山さんを悪く言う人は多いが、基本的には篤実でまっすぐな人だった。人を信用しすぎるのか、絵を描くのが忙しいのか、周りがしつらえたことを無批判に黙々とやるので、画家らしくないふるまいが目立ってしまい、そこが批判された。僕ら業界人も平山さんの“御威光”に縋って甘い汁を吸っていたのだから批判するのは狡い。批判はしないけれど、あの人はどうしても誉めにくいのだ。絵が、ねぇ。。。

https://makiart.jp/foevent/event_220520/

そんな平山さんの絵が、郷里石巻の博物館を飾るというのが不思議でならない。なんだかコソバユイ気がする。震災前に逝った平山さんは、空の上から復興半ばの石巻を見て、何を思うだろうか?

天津飯探訪記at石巻

1月からこんなことを始めた。きっかけはいろいろある。

日高屋新メニューに天津飯が加わったこと(今もよく食べる)

・中国天津でオミクロン株が急拡大したニュースで天津飯や天津甘栗の話題が出た(日本でどのように天津飯が定着したか)

・友人のインスタで市内中華の天津飯が紹介されたこと(東日本では珍しい塩味だった)

日高屋以外では天津飯を食べることは少ないが、卵料理は好きなので食べ歩きして味を調査するのも面白いかなと。全部は回れなかったが19店ほど調査して17杯の天津飯を食べた。

そもそも天津飯は中国オリジナルではなく日本発祥の料理。詳しくはググっていただきたいが、味つけには地域差がある。関東は甘酢あん、関西は塩味が主流だ。大阪の人が東京で天津飯を食べると酸っぱいのに驚くという。

食べ歩きの話をすると大抵が「なぜ天津飯? ラーメンとか炒飯にすればよいのに」という。実はここが天津飯の面白いところ。誰も天津飯なんかに期待していないのだ。野球でいえば7番バッター。中華料理屋に行って、さぁ今日は中華を食うぞというときに、まず候補に上がらないメニューだ(かに玉は別として)。思い入れがないので、天津飯食べ比べと言われても意味がわからないのだろう。

作る側も似たようなもの。「うちの自慢は天津飯です」という店はほとんどない。おそらく大した研究もせず、こんなもんかと適当に味つけをしていると思われる。石巻に限らず全国的にそうだろう。

実は石巻にいた頃に天津飯を食べたことがない。南浜町のクサカストアのところに新しい中華料理店が出来たとき、雲雀野グラウンドで親父とキャッチボールをした帰りに寄って、親父が天津飯を頼んだので初めて知った(店の名前が思い出せない。親父と同級生だったから鰐陵23回生と思われる)。天津飯を初めて食べたのはよく覚えていないが東京だろう。だから甘酢あんのイメージが強い。

前置きが長くなったが、そんな天津飯石巻でどのように提供されているのか知りたくなったのだ。足掛け5ヶ月にわたり食べ歩いた17杯の天津飯。以下に店名、味つけ、写真、コメントを列記していく。

1 南華園(醤油甘酢)

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記念すべきスタート。ここは何でも黒い。味つけも強め。小学4年の時にここで初めて「かた焼きそば(揚げそば)」を食べて、世の中にこんなにうまい食い物があるのかと驚愕した。中学に上がると中華麺を油で揚げて自作したほどだ。そんな思い出の店(今はかた焼きそばはやってない)。

2 北京大飯店(醤油甘酢)

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大街道の有名店。家族でよく行った。表に天津飯のノボリがはためいており期待大。甘酢あんが別添えで供されたのには驚いた。といって自分でかけるのが楽しいわけではない(笑)。石巻を代表する老舗だけあって恥ずかしくないお味。

3 桂花(醤油甘酢)

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3〜5の3店はかつて門脇にあった食堂だ。子供の頃に何度も行っている。駅前の桂花は横浜梅蘭風焼きそば(麺の中にあんかけを閉じ込める)や卵白チャーハンなど工夫する店なのだが天津飯はいたって平凡。美味しいのだが、また食べたいというほどでもない。

4 一龍(醤油甘酢)

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青葉の人気店。ここが移転した後に桂花ができた。いつも混んでいる。酢はきつくなくゆるい餡がサラッとかけてあり主役の卵を楽しめる。安心の味。

5 東京屋食堂(醤油甘酢)

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ここは大衆食堂なので中華の作法からやや外れているかもしれないが、そのぶんダシの旨味を感じさせる。椎茸やタケノコも入って具沢山。半ラーメンもつけて満腹だ。

6 小西湖(塩)

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湊の町中華代表格。朝一番に行ったらすぐ満員になった。どんな天津飯かと思ったら塩味。石巻で初めてだ。これも卵をしっかり際立たせている。そもそも卵焼きに醤油というのはくどい味つけなのだ。反面あっさりし過ぎか。やや物足りなくもある。一緒に付けた半ラーメンのスープも薄味だった。お年寄り向き?

7 温州菜館(ケチャップ甘酢)
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出た。第三の味。中華でケチャップ味は、チキンライスを筆頭に町中華の王道だが、この店は本格中華のはず(料理人が大陸の方)。酢豚もケチャップなのだろうか? でも洋食風で嫌いじゃない。スープが牛テールスープみたいで美味しかった。

8 デリシャス(醤油甘酢)
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蛇田の人気店。初めて入った。ファミレスみたいでやたらメニュー豊富。味つけもクセがなく標準的。老若男女が楽しめる味にしている。それでいてここは裏メニューがあるらしい。移住したら通いたい店。

9 とらの子(醤油甘酢)
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新居近辺、山下地区ローラー作戦第一弾。ここは町中華と本格中華の中間という趣き。中華好きの親父が生前通っていた。他店より1割ほど高めだが量も多い。卵はフワトロではなくしっかり固めるタイプ。好み。たぶんどれも美味しいのだろう。近くに引っ越してきてよかった(出前もしてくれそう)。

10 長寿飯店(ケチャップ甘酢)
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第二弾。船で食事係だった店主が陸に上がって開いた店と聞く。店名も店構えも本格中華っぽいが町中華だろう。ケチャップ味だが風味を効かせる程度。メニューに山東麺とあるのが気になる。

11 雲雀(醤油/オイスターソース)f:id:bar_yamagoya:20220603135202j:image

第三弾。街なかから越してきた上海の方のお店。こういう料理人が作る天津飯はどうなるかという好例。おそらく中華飯と同じ味つけだろう。料理人として卵焼きに甘酢は合わない、と考えているのかもしれない。料理としてはたしかに美味いが、天津飯とは言えない気もする。食べる側の問題だが。ちなみに雲雀ではいつもルーロ飯を食べる。餃子も美味しい。

12 福龍飯店(醤油甘酢)
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数年前に初めて存在を知った店。里山にポツンと建っている。旧河南高校に近いので親父も通ったかもしれない。メニュー豊富で炒飯だけで10種類ある。王道のこれぞ天津飯。脳が欲する味(笑)。「料理が美味しい」というのはそういうことなんだろう。ここも通いたい。

14 南京飯店(醤油)
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BSの町中華探訪番組で長寿飯店とともに紹介されていた。驚いたのは天津飯を頼むと「醤油、塩、ケチャップのどれにしますか?」と訊かれる。悩んだ末に最もマイナーな醤油にした。美味いのだがボンヤリ。客に選ばせるのは面白いが、なぜ甘酢が選べないのかが謎だ。ここの人に「天津飯とはどういう料理ですか?」と訊いてみたい。

15 裕味(醤油甘酢)
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3.11セレモニー翌日に兄貴と行ってみた。中里で30年以上やっているという。兄貴は中華そば。「初めての中華店はラーメンに決まってるだろ」という顔をされた。ひと口食べたら、確かにここの自慢料理ではなさそうだと感じた(失礼ながら)。独自の工夫をせずとも成立し、食べる側も大した期待をしない、そこが天津飯の深い悲しみ。

16 楼蘭(塩味)
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街なかの本格中華。友人がここの白い天津飯をインスタに上げていた。目の前に運ばれても見た目から味が想像できない。鶏ガラスープのダシだろうか、上品な味わい。美味しいが、何が何でもこの味を食べたいということでもない。やはり天津飯を口に入れるときの脳は、甘酢を欲しているようだ。

17 紅蘭(ケチャップ甘酢)
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結果的にここが最後になった。かなりケチャップを入れている。酸味がガツンと来る。天津飯は上品さよりも下品さが似合う。半ラーメンをスープ代わりに掻き込むのがいい。ここや桂花もそうだがサツマイモの甘炊きを置いている。これはどこの風習なのだろう? 石巻だけ? 宮城?  全国?

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以上17杯。以下は番外。駅前の注受(そそうけ)、大街道の吉野ではメニューに天津飯がなかった。残念。また湊の揚子江、穀町の北園は割愛させていただいた。書くまでもないがグランドホテルの中国飯店もだ。理由は推して知るべし。天津飯だもの。行けなかった店も挙げておく。広渕の龍昇、飯野川の吉華、鮎川の上海楼。別メニューでチャレンジしたい。

ごちそうさまでした。石巻の中華はどこも美味しいです。ぜひ味をお運びください。

 

GWの営業終了

5月4日で終了。大勢来てくれた。いつも来る人、一年ぶりの人、初めての人、いろいろ。ただ、数的には思ったほどではなかった。向かいのおり姫ママも「はっぱ来ねよわ」と愚痴っていた。

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世の中的には、行動制限のないGWは2019年以来3年ぶり。飲みに出歩いている場合ではなかっただろう。宮城は強硬派の村井知事(通称ムーチン)がまん延防止措置策を敢えて採らず、今年に入って休業や時短の要請が出なかったので、飲食店は営業を続けていた。県内・石巻市内の呑み助たちは行くところに困らなかったはず(ひょっとするとまん防発令の山形や福島から飲みに来ていた?)。家族もちの人は、この貴重なGWを家族サービスに充てたことだろう。

それでも街中には若い人があふれていた。久々の帰省だったのかも。でも彼らはバーやスナックには行かない。居酒屋とカラオケ店だ。そっちは賑やかだったと思う。古井戸のある昭和感漂うわが横丁は閑散としていた。

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初めて飲み放題をやってみたけど誰も使わなかった。というかそこまで飲まないんだね。飲んでも3杯なのであまり意味なし。1h1000円くらいじゃないとダメかもしれない。でも、飲み放題プランは普段でもやりたいんだよね。今後の課題としよう。

いろいろ考えて、山小屋はやはり2軒目3軒目の店。アルコールにしろ食事にしろ、こちらが提供したいと思うものと、客が求めるものとをマッチングさせないといけない。それをアジャストするのは1年では短いのかもしれない(平日もやったら別だが)。

それと、近くの1軒目の店(六文銭さんや松バルさん)が元気に営業してくれないと本当に困る。あの2軒が営業しないと、この横丁まで人が流れてこないからだ。そこは2軒目3軒目の宿命だ。日本製紙の工場長をしていたFさんから聞いた話だが、工場近くの居酒屋「とん平」のマスターが言っていた話として「うちは日本製紙さんの煙突に止まるセミみたいなものです」と。工場が元気に操業してくれないと、周辺の店はあがったりだという話。

飲食店は、店が出す食べ物がおいしいだけでは集客できない。街のなかで人の流れがあり、そこから流入してくる客を想定し、売り上げを確保しなければならない。GWという大きなイベントを通過して、さらにまた課題が見えてきた。

連休後半は好きなことをして滋養を高めます。ご来店、まことにありがとうございました。