港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京在住(石巻出身)オーナーYがゆるーく情報発信しています。

三種の神器 その2〈ラジカセ〉

 

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ラジカセへの執着は小6ですでに見られた。夏休みの子供会ラジオ体操で、会場にラジカセを持って行くのが班長の役目で、20人ほどの子供が集まる広場にラジオ体操の声が響き渡るように、できるだけスピーカーが大きいラジカセを持っていったほうがよい。うちには小さなポータブルラジカセしかなかったので、隣に住む叔父が持っていた短波ラジオが聴けるラジカセを借りた。スピーカーは16センチモノラル、確かNEC製だったと思う。もちろんオーディオ機器という認識ではないが、家の電化製品を他人に見せることになり、見栄を張りたくなったのだ。テレビにしろ冷蔵庫にしろ、大きい家電はその財力を示していた。

中学になりバレー部の連中がやたらラジカセやカセットテープにこだわる気質で、話を合わせるためにいろいろ勉強した(音楽の話題は中島みゆきとかだったが)。そして中2の年、あのCMがテレビから流れてきた。

https://youtu.be/LJGIhFNnaPA

シャネルズの歌う「ランナウェイ」の曲をバックにamtrakの列車が駅のホームに入ってくる映像はなかなかカッコよかった。アメリカという未知なる国への憧憬が湧き上がり、このラジカセでグッドミュージックが聴きたい欲求がやおら芽生えた。「何を聴く」ではなく「何で聴く」だったのだ。

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当時のポスターを見ると、メーカーのパイオニアはラジカセと呼ばず「ポータブルステレオ」と呼んでいたようだが、中坊にはそこまで伝わらなかった(笑)。三種の神器の一つはどこまでも「ラジカセ」だ。

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ひゃー、一番安いモデルでも59800円もする。中坊に買える代物ではない。パイオニアはかなり高級路線を行っていたようだ。手に入れるには親にねだるしかなく、5万は切りたいところ。市内にあった家電店を片っ端から見てあるいた。東芝、日立など白物家電メーカーもボンビートやパディスコなどのブランドを揃えていた。こちらもソニーやパイオニアなどのオーディオブランドとそれらを区別していなかったので、価格帯の中からスピーカー口径や出力ワット数の大きなものを選ぶつもりでいた。庄子デンキで日立がいいと店員に言ったら、わかってねーなという顔でソニーを勧めてきた。「あのね、数字じゃないよ。スピーカーの反応の良さで言ったらこいつだよ」と指差したのがこれ。

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うーん、カッコ悪い(笑)。70年代のクラシックなデザインに憧れていたので80年代の奇抜なデザインには抵抗があった。77のほうは20cmウーファー&フルロジックで59800円、66は16cmで42800円。最大出力はともに7w。家にSONY製品があるのも悪くないと66に決めた。中学で買ったのか高校で買ったのか覚えていないが、高校受験前に通っていた塾に77が置いてあり、欲しいなぁと思った記憶があるので、やはり高校で買ってもらったのかもしれない。

この66は良き相棒と呼んでもよいくらいに高校時代を共にした。別項で書くサンスイのステレオで録音したカセットテープを勉強中や枕元で聴いて過ごした。大学に入ったときも上京するのにテープの山とこの66を寮の部屋に持ち込んだ。大学3年の時にSONYのミニコンポを買ったあたりで手放したと思う。一人暮らしの部屋で聴くのにコンポがあればラジカセは要らない。

石巻のような田舎の家電店では、当時発売されていたすべてのメーカーのラジカセを比較検討することなどできず、メーカーに押し込まれた人気商品を買わされるのが関の山だろう。シャープ(ザ・サーチャー)、ナショナル(マック)、アイワ、ビクター、いろいろ比べたかったけれど、限られた条件、狭い選択肢の中で選ばざるを得なかった。とはいえ、日本の優秀な電化製品のどれを選ぼうとも、その時代に聴いた音楽に優劣がついたとは思えない。むろん自分の音楽的趣味に、絶対的な自信など持ち合わせていないけれど、あの時代、大好きなラジカセとともに好きな音楽に浸っていた10代の音楽生活をなくして今の自分はありえない。多感な10代を、レコードやFMラジオやFM雑誌やビルボードチャートなどとともに過ごしたことは、とても幸せなことだったと強く思う。

今年も一箱古本市が開催

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10月15日、今年で11回目を迎える石巻一箱古本市が行われた。山小屋営業以前から「めめんと書房」として参加して今年で4回目となる。山小屋との同時営業は去年に続いて2回目だが、今年はさらにウクライナ料理Borschも同時営業だ。

去年はとても忙しかった。事務局からは「主会場から離れているのでお客さん来るかなぁ」と言われて、まぁのんびりやろうと思っていたら11時のスタートから来客がすごかった。駅から一番近いので仙石線を降りてまず山小屋に寄るのだ。来てくれた人にコーヒーをサービスすると決めていたので午後までずっと豆を挽いてコーヒーを淹れ、カウンター越しに本の代金を受け取るのを3時間ほど続けた。飯が食えたのは閉店して幟を返しに行った午後4時。いろんな人と出会えて、あんなに楽しいことはなかった。

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今年もコーヒーサービスは継続。思いがけず同級生のS子(本職は書店員)が手伝いを申し出てくれたので、だいぶ楽をさせてもらった。今年は挽いた豆を使い、アイスコーヒーにしたのでスムーズにサービスできたと思う。

本の売れ行きもまずまず。去年からの売れ残りに、東京自宅の蔵書を(引越しがてら)持ってきて補充したのがよく売れた。レヴィ=ストロースの『神話論理』を全巻買ってくれた若者もいた(売価の半額にしてあげた)。。
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めめんと書房の売りでもある「束見本」もほぼ完売。一年間で貯めた40冊を一冊100円で売り、ウクライナ人道支援金として供出させていただいた。
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Borschの3人は、いつも通りにボルシチ、ヴァレニキ、オリヴィエ、ムリンツィを販売。本を買いがてら店内でボルシチを食べていく客が多く、売り上げに貢献できてよかった。ウクライナ料理と古本の相性がよいのだろう。山小屋が一人取り残された感じだ(笑)。

夕方、幟を返して表彰式に参加。店番を手伝った助っ人3人が飲みに来てくれた。出店者も次々と予約が入り満席状態が続き、最後の客が帰ったのは午前1時過ぎ。朝9時から17時間ぶっ続けで働いたことになる。売上も開店以来最高額となった。古本市サマサマである。売れ残った本は店奥のキャビネットに置いて通年販売をする。来年はこれに補充すればよい。

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昨年の開店前は「東京の人がブックバーを開くらしい」と噂が立ち、なんだそりゃ?と訝しんだが、蓋を開けてみればそれに近い形態になってきている。自分のなかではめめんと書房(2019〜)と山小屋(2021〜)は別の事業体のつもりだったが、まさかの合体。たしかに二つも要らないので、どちらか一つを残したいところだが、今は決めきれない。商号が二つあってもいいんじゃないかと、今は思っている。

 

ふらば〜るバレーというスポーツ

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スポーツの日の10月10日、地元調布市のふらば〜るバレー大会に参加してきた。調布では小学校開放クラブを中心に毎年ニュースポーツの交流会を行い、キンボールやボッチャ、タグラグビーなどを楽しんでおり、中でもふらば〜るバレーが盛んだ。オニギリ型のボールを使ってワンバウンドさせるのだが、バレーボールの魅力がギュッと詰まっていて楽しい。

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娘が通っていた深大寺(じんだいじ)小学校で始めたのは7〜8年前だろうか。学校開放でお父さんたちとソフトボールを始めて、開放委員になり、そこで市のスポーツ推進委員からふらば〜るをやろうと、ソフトボールとバレーボールの合同チームが立ち上がったのが最初だ。子供は入れずに純粋に大人だけで楽しんだ。隣の北ノ台小学校に開放サークルができたと聞いて門を叩き、他校保護者なのに毎週練習していた。

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週末のソフトボール(校庭開放)、テニス(倶楽部でのレッスン)と、10年間スポーツ漬けだったが新型コロナの影響で学校開放が閉ざされ何もできなくなった。山小屋を始めたのも、週末スポーツができなくなり暇になったことも大きな要因だ。

ふらば〜るはとにかく楽しい。オニギリ型のボールをワンバウンドさせるのでどこに跳ねるか予測できず、跳びはねてばかりいる。ボールが軽いので指先でも何とか上げられるし、思い切り打てばフワフワと相手コートに届くので、ラリーを続ける楽しさを満喫できる。ダメだと思ったボールがコート内に戻ってきて相手コートに返してポイントを獲った時などは歓喜に湧く。こんなスポーツは滅多にない。書いていると長くなるのでルール解説に移ろう。

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【用具とコート】
○ボール:ふらば〜る(直径43cm)。Amazonで買える
○コート:6.10m×13.40m(バドミントンダブルス用コート)

○ネット:ソフトバレーまたはバドミントン用ネット。高さは2.0m
○マーカーアンテナ:正式な大会では必要【チームの人数とゲームの進め方】
○5対5でプレー。5〜8名で参加者全員をローテーションの対象とする

○ローテーションするが前衛後衛の区別はなく、誰でも攻撃に参加できる

○調布では10分1セットでやっているが15点マッチでもよいらしい
【選手のポジション】
○サービス時、各チームの選手は、前列2人がサービスラインより前に、後列3人がサービスラインより後ろにいなければならない(Wのように)
○サービスが行われた後はどこに動いてもよい
○サービス権を得たチームは、時計回りにひとつずつローテーションする
【サーブ】
○サーブは後列中央の選手が行う。前足か後足のどちらかをコート中央のハーフラインを踏んでサーブを打つ
○サーブは片手アンダーハンドで打たなくてはならない(サイドハンドはフォールト)

○サーブがネットに触れた場合はフォールト
【競技方法】
○相手からサービスされたボールだけはノーバウンドでレシーブしなければならない。2回または3回で相手コートに返す。1回で返した場合はフォールト
○以後のラリーは、相手コートからの返球は必ずワンバウンドさせてレシーブして3回以内で相手コートに返球する
○相手コートに返球するまでボールに触れることができるのは1人1回までとする
○3回目のボールがネットに当たって戻ってきた場合に限り4回目での返球が許される。その場合は3回目に触った選手でも、すでに1回触った選手でもよい(つまり誰でもよい)

【反則】

タッチネット、オーバーネット、ホールディング、オーバータイムス、ドリブル、マーカー外等の反則は、9人制バレーボールに準じて判断する

【ボールのイン/アウトの判定】

○ボールを上から見て、輪郭がラインに掛かった場合はイン、ラインに掛からない場合はアウトとする(ボールがラインに触れたかどうかではなく、上から見た時のかかり具合で判断)

 

会場は味の素スタジアムに隣接する武蔵野の森スポーツプラザ。東京オリンピックではバドミントン会場として使われました。サブアリーナに約20チームが集結して8分間1セットを4試合。わが深大寺(じんだいじ)小学校チームは4勝0敗でリーグ優勝を果たしました。気持ちいいーー! なんも言えねー!

実は石巻にもふらばーるバレーを広めたいと練習会を計画しています。人数が揃えば試合形式で練習したいです。バレーをやりたいけど機会がない方、運動不足の方、老若男女が楽しめるスポーツですので奮ってご参加ください。詳しくは山小屋またはジモティまで。

https://jmty.jp/s/miyagi/com-spo/article-uxme8

ウクライナ料理店とのコラボ開始

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石巻在住のウクライナ人男性と日本人女性パートナーによるテイクアウト専門店「Borsch(ボルシチ)」が、8月27日から山小屋店舗で営業を開始した。いわゆる“間借り”である。

今年3月にロシア・プーチンとの戦争が始まり、母国ウクライナから母と祖母を呼び寄せた二人は時の人となり、地元ニュースや新聞メディアに登場した。ロシアによる爆撃で破壊されたウクライナ(チェルニヒウ)の街が、震災で壊滅した門脇・南浜と対比され、「石巻で戦争を考える」という思潮が思いがけず醸成された。対岸の火事と思いがちな海外の戦争を我が事として深く知りたくて、何らか接点を持ちたいと考えていたら、知り合いの不動産会社から間借りを打診してきた。家族を支援をしている石巻に恩返しをしたいと、ウクライナ料理店を出店したいという。一も二もなく承諾した(もちろんオーナーにも断りを入れた)。

二人とは初回会った時から打ち解け、親しくなった。二人は元々タイ式マッサージのプロで、石巻で店をやっており、とにかく人当たりがよいのだ。ちょうど来店していた小学校同級生たちも異文化交流を楽しんでくれた。雑誌「石巻学」主宰者の大島幹雄さん(ロシア語が堪能)もたまたま来店してその日は賑やかな夜となった。

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震災後の石巻は、復興支援やボランティア人材が流入し、他力に頼らざるを得ない状況が長く続いたので、地方都市にありがちな外部の人間への拒否感が薄い町になった。外国人も同様で、とにかく受け入れが暖かい。ウクライナの戦争勃発当初も避難民受け入れに積極的だった(イベント好きな市長さんのようだ)。

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そういう状況下で間借りの話だったので、こちらも「石巻人」としての人情を発揮したという次第だ。また店側の人間としても、こういう営業形態を石巻の人はどう受け止めるだろうと興味深かった。

まだ始めて1ヵ月しか経っておらず、水曜と土曜の週2回営業のうち半分も立ち会っていないのでまだよく見えていないが、まずは成功しているという印象だ。開店当初はご祝儀もあるだろう。ボルシチやヴァレニキ(餃子)などウクライナ料理も、長く親しんでくれるかどうか。そもそも、いつまでこの営業を続けるのかーー。

ウクライナから呼び寄せた家族が祖国に帰れる日はやって来るのだろうか? 戦争は今も続いている。仮に明日終わったとしても復興の道のりは果てしなく遠い。このまま石巻に定住するのが得策かもしれない(当人が決めることだが)。

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未来がどうなるか、誰にもわからない。山小屋だっていつまでやれるだろう? そんなデラシネ同士が肩寄せ合って、場末の横丁で小さな店をやるのも悪くない。震災後の復興途半ばの石巻と、戦後復興の端緒にも就けていないウクライナとの共同作業、どうか温かく見守ってほしい。

山の日のアリバイ工作

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8月11日は山の日で祝日。山小屋店主が家でゴロゴロしていては笑われる。前日に仕事を終えて帰石する途中、どこかサクッと登れる山はないかとあれこれ調べたところ、泉ヶ岳なら仙台から地下鉄とバスで登山口まで行けることがわかったが、そのためには仙台に泊まらねばならず、石巻から近い山に方向転換。兄貴に相談して鬼首(おにこうべ)の禿岳(かむろだけ)に決めた。

12日金も休日、どうせなら一泊してツーリングも楽しむべしと朝9時にバイクで出発。鳴子から花山ダムを抜けて、途中で道を間違えながらも禿岳付近までたどり着いたが、先日の大雨で崩落したのか登山口までの国道が閉鎖されていた。

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昼の13時を回っており、今日の登山は無理かとトロトロ走っていたら、鬼首キャンプ場近くに「片山地獄入口」という看板を発見。このあたりは間欠泉が多いのだ。地熱発電所でも見てくるかと峠道を登っていくと「登山口」の看板を発見。荒雄岳という山らしい。ネット検索したら1時間ほどで登れるというのでここから登ることにした。

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詳細省略するが案の定きつかった。運動不足、100キロ近くまで増えた体躯には、いきなりの登山は無謀であった。それでもなんとか登頂して前方の栗駒山を眺望できた。あとは一気に下山、16時には登山口に帰り着いた。あとで分かったがこのあたりは鬼首カルデラと呼ばれ、この荒雄岳を中心に凹地を形成し、禿岳はその外輪山に当たる。兄貴によれば宮城の八ヶ岳ともいわれているらしい。山小屋店主のくせにまったくもって無知なのだ。

行きと帰りで別の登山道を通ったので県道に出てからバイクを置いた場所まで1時間ほど歩かされ、その間に登山靴の底がベロリと剥がれた。何年か前にボンドで補修したが限界かもしれない。でもまだ使えるぞ。

鳴子のコメリに行って600円の靴を買って履き替えた。そのまま鳴子温泉に投宿して翌日も温泉めぐり。国道398号で秋田に抜けるのは初めてで、なかなか面白かった。

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↑花山番所

 

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↑湯浜温泉(渓流沿いの一軒宿)


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↑泥湯温泉


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↑川原毛地獄

 

小安街道(398号線)は花山峠を挟んで温湯(ぬるゆ)温泉、大湯温泉、小安峡温泉と温泉が続き、皆瀬から泥湯温泉を抜けると108号線に出る。石巻から3時間もあれば来られるので日帰りにちょうどよい。秋は紅葉も楽しめそう。国道108号線の旧道「仙秋サンライン」も走るには楽しそうだ。川原毛地獄はもう一度見に来たい。

ということで何とか「アリバイ登山」を遂行できた。自信がついたとは言わないが、登山への気やすさが生まれたことは確かだ。秋が深まる前にもう一度チャレンジしたい。いつか、お客さんと一緒に山に登れたらよいのだが。

 

真野のチョドフェス

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友人Mが関わっているという“夏フェス”に行ってみた。石巻の郊外、京ヶ森の麓の山間部。バイクで30分ほどで着いた。真野(まの)地区は稲井のさらに奥、山の向こう側は雄勝になる。長閑な田園風景が続く土地柄で、好きな場所だ。f:id:bar_yamagoya:20220720141028j:image

日本の民俗舞踏、フォークデュオ、パフォーマンスアートなど趣向を凝らした出し物が歓声を集めた。

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楽しみにしていたエスニック料理も堪能した。ベトナムのサンドイッチ、バインミーピリ辛ソースが暑さを和らげてくれた。おにぎりランチプレートもおいしかった。

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お楽しみは、Mが率いているウクレレちんどんオーケストラ。まきあーとテラスの柿落としで演奏したのは知っていたが、実際に聴くのは初めてだ。ウクレレ、ギター、ウッドベースアコーディオン、リコーダーといった楽器をガシャガシャ演奏しながら、音程構わず大声で歌う。楽しそう。やってみたい。いま店でアルトサックスを練習しているので、吹けるようになったらチャレンジしてみよう。

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14時を過ぎたところでお暇(いとま)した。夕方の電車に乗って東京に戻らなくてはならない。友人Mに挨拶をして真野を後にした。

田園風景のなかをバイクで走るのは気持ちがいい。こんな土地で郵便配達やトラックドライバーなんかやれたら最高だ。そろそろ仕事探しを本格化するか。

平山郁夫さんのこと

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石巻市博物館で、日本画家・平山郁夫が描いた奥の細道展をやっている。芭蕉は松島から平泉に抜けようとして道を違え石巻に迷い込んだ。「奥の細道」にはその時のことを書いた章がある(大学の古典文学演習でレポートした)。ゆえに石巻は未来永劫「奥の細道」を題材にいろんな企画ができるわけで、今回の展示もそれにあたるのだろう。

でもまさか、奥の細道平山郁夫さんの取り合わせとは。そんな仕事をしていたことを知らなかった。

平山さん、とさん付けで呼ぶのは、「先生」と呼べる画家を選びたいからだ。美術雑誌編集時代にお付き合いしたなかで先生と呼びたいのは、高山辰雄先生、高塚省吾先生、佐々木豊先生の3人だけである(版元がバレバレだが)。平山さんとも何度かお話しを聴いたり、絵を頂戴に行ったりしたが、尊敬の念は特に芽生えなかった。日本画の伝統を継承するでもなく革新するでもなく、線や色彩もボヤッとして眠いせいもあるが、広島で被爆して原爆症で悩んだこと、東大を目指すほど秀才だったこと、前田青邨に師事したことの吹聴、自民など政府系団体の役職が多く政治家との繋がりが強かったことなど、作家性以外の属性ばかりが目立っていた。

東京美校(現藝大)で平山さんと同期だった某画家から聞いた話によれば、前田青邨の弟子という話はどうも違うようで、須田珙中(すだきょうちゅう)という院展助教授に師事していたのが珙中が病気で亡くなり、半ば引退していた青邨が珙中教室の学生の指導を引き受けたということらしい。その方は「平山の経歴から珙中先生が消されているのが許せない」と憤慨しておられた。「珙中門下」では華がない、ということなんだろう。それを聞いて、平山さんという人がなんとなくわかった気がしている。

まぁでも、話をするといろいろ話題豊富で、インタビューでも日本経済の話からサッカー日本代表の話まで、およそ日本画家とは思えない守備範囲の広さに驚かされた。インタビューを受けるのが得意で、自分を大きく見せる術を持っていた。

アンコールワット遺跡 夕陽」だったか、院展出世作リトグラフにしましょうと話して、色校正を持っていったりサインと落款をいただいたり、鎌倉二階堂の私邸に何度も足を運ばせてもらった。制作したリトグラフを200枚ほど持っていき、和室のテーブルに二人で座って、平山さんが「郁夫」と鉛筆で書き、僕が落款を捺す作業をしたこともある。1枚250万円の上代で印税が10%だからサイン1回で25万円。およそ画家の仕事ではない。それをやらせる版元も版元だが、今でいうWin-Winの関係を当代随一の画家と構築するのは並大抵でなく、社員を路頭に迷わせないためと思い頑張ってやったことだ。販路は専門の画商が数社、個人よりも法人の需要が多かった。社長室や玄関に飾られたことだろう。

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平山さんを悪く言う人は多いが、基本的には篤実でまっすぐな人だった。人を信用しすぎるのか、絵を描くのが忙しいのか、周りがしつらえたことを無批判に黙々とやるので、画家らしくないふるまいが目立ってしまい、そこが批判された。僕ら業界人も平山さんの“御威光”に縋って甘い汁を吸っていたのだから批判するのは狡い。批判はしないけれど、あの人はどうしても誉めにくいのだ。絵が、ねぇ。。。

https://makiart.jp/foevent/event_220520/

そんな平山さんの絵が、郷里石巻の博物館を飾るというのが不思議でならない。なんだかコソバユイ気がする。震災前に逝った平山さんは、空の上から復興半ばの石巻を見て、何を思うだろうか?