港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

テアトル東宝・東宝プラザのこと

映画関連ニュースで、ジョン・カーペンター監督特集をやると知った。B級映画の傑作「ニューヨーク1997」4Kリマスター版が上映されるという。時間が合えば観に行きたい。

https://www.cinematoday.jp/news/N0127256

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1981年に石巻のテアトル東宝か、2階の東宝プラザかのどちらかで観た。同時上映は「ハウリング」か「フライングハイ」の、これまたどちらか。一緒に行ったのは親友F、これは確実。どちらの発案だったかは思い出せないが、中2あたりから互いに洋画に興味を持ち始め、夕刊などで得た情報を持ち寄り「面白そうだから観に行くか」と話して決めていたと思う。Fとは他に「普通の人々」「エレファントマン」などを観た。

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初めてスクリーンで洋画を観たのはこの映画館。小2の冬休みに両親に連れられて。「サウンドオブミュージック」のリバイバル上映だった。ディズニーの実写映画「ラブバッグ」とのカップリングでおそらく後者がメイン。人間の心を持ったビートル(フォルクスワーゲン)が女の子のために活躍するストーリーがクラスでも話題になっていて「俺も観さ行ぐ」と言ったらガキ大将のゴードンに「うるさい、お前はサウンド〜でも観てろ」と悪態をつかれた。あいつはそういうところがあり、4年次の山登り遠足でピストル型の枝を見つけて隣を歩いていたゴードンに見せたら藪の中に投げ捨てられたこともある。それでも仲はよく誕生会に呼んだらヌンチャクを披露してくれた。

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話がずれた。「サウンドオブミュージック」が素晴らしく、生涯忘れられない映画となった。10回は観ただろうか。去年も娘とDVDで観た。「My Favorite Things」はカラオケで今もよく唄っている。主役のジュリー・アンドリュースの美声に子供ながらに酔いしれた。ちなみに沢田研二の愛称ジュリーは彼女が由来である。

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実はこの前に一本観ているのだが思い出せない。父親と一緒に観たのだが、パトカーのシトロエンがパープーと走り回っていたからフランスのギャング映画だと思うが、まさかジャン・ギャバンじゃあるまいし、恐らくは「フレンチコネクション」ではないかと。71年だから時代的にも合うし、親父が観たがりそうな娯楽映画だしそういうことにしておくが、それを初めて観た洋画にしたくはない。

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いちばん印象に残っているのはスティーブ・マックイーンの遺作「ハンター」だ。これも親父と観に行った。中2の時にテレビで「荒野の七人」を観てマックイーンに惚れたのだが、その年の11月7日に肺がんで亡くなってしまった。この映画は実によい。マックイーン作品の中でも上位に挙げたい。TVシリーズ「拳銃無宿」で一躍スターとなったマックイーンが、最後にまた賞金稼ぎ役(現代の)を演じるも、50歳近くになり捕物がうまくいかないアンチヒーローぶりが笑える。最後のシーンなどは泣けてしまう(実際はアドリブだったと後で知った)。ぜひお勧めしたい。

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その(1980年)年末にはジョン・レノンは暗殺されるなど、好きになったばかりのアーティストが次々と死んでいった。ほかにも大平正芳総理や越路吹雪が亡くなったり王貞治山口百恵が引退したり、ある意味で転換期となった。そこを親友Fと、次なるアイドル(崇拝対象)を求めていたのが中2だった。

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そのFも中3の夏に親の転勤で秋田に引っ越していき、話せる奴がいなくなった。文通は続けたが、大人の男になる訓練を、映画や音楽を聴きながら一人自主トレしていた時期でもある。テアトル東宝東宝プラザは、そんな場所だった。

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ここで観た洋画をぜんぶ書き出したいがWikipediaなどで調べてもこの程度にしかならない。誰か、あの映画館の全上映作品を調べた人はいないのだろうか? 石巻日日新聞のアーカイブならわかるかもしれない。

◆はFと

サウンドオブミュージック

◇ラブバッグ(上記と同時上映)

翼は心につけて(小6担任陽子先生に薦められて。筋肉種で亡くなった女の子のセミドキュメンタリー。石田えりデビュー作)

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◇インターナショナルベルベット(上記と同時上映)

スターウォーズ

ルパン3世 vs複製人間

ナイル殺人事件(上記と同時上映)

ルパン3世 カリオストロの城

◇スーパーマン(上記と同時上映)

ニューヨーク1997

◆フライングハイ(上記と同時上映)

地獄の黙示録

ハウリング(上記と同時上映)

◆普通の人々

◇ハンター

◆エレファントマ

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ウィングス USAライブ

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◇潮音 ある愛のかたみ(石巻出身の彫刻家・高橋英吉の映画。市制50年記念制作)

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昭和の中学生 三種の神器

①スポーツ自転車

②ラジカセ

一眼レフカメラ

(次点:腕時計)

個人的な考えなので皆に当てはまらないが、あれから40年近く経っても凌ぐものが思い当たらない。ここでは概論にとどめ個人史など各論は別記事にしたい。

【スポーツ自転車】

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自転車は小学校時代から「マイカー」の位置にある。僕らの頃は黒いボディーの5段変速のいわゆる「ジュニアスポーツ」が主流。金持ちの友達はフラッシャー付きに乗っていた。最大手ブリヂストンはデジメモ(カチカチと変速できる)やスピードメーターが標準装備。ほかにミヤタやマルイシなどがリトラクタブルライトやディスクブレーキ装備を出していた。26インチが主流だったが20〜22インチでアップハンドルのミニサイクルというのもあった。友達のを借りたら軽くて乗りやすかった。

こうした自転車で徒党を組んでどこまでも行った。1978年6月12日、宮城県沖地震のときは隣町の柳の目バッティングセンターにいた。翌日学校で先生が「昨日の地震すごかったね。どこにいたの?」と訊かれたが雲雀野公園にいたとウソをついた。あんな遠くまで行ってたと言ったらゲンコツ食らう。あれは本当に怖かった。地面が大きく揺れ、縦型のゲーム機(パチンコ台など)がバタバタ倒れ、バッセンのネット支柱がユラユラと揺れた。自転車に飛び乗り大急ぎで門脇に帰った。

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中学に上がるとフラッシャー組はブリヂストンのロードマンに次々乗り換えた。ドロップハンドルのレーサータイプで大人気だったが禁止されていたのでアップハンドルに換えていた。ロードマンは一億総中流的な自転車。車で言えばマークIIか。バカ売れしたのでミヤタはカリフォルニアロード、丸石はロードエース、富士はフェザーコンポと同じ価格49800円で追随した。ジャンプやサンデーなど少年誌には必ずこの手のスポーツ車が広告を出していた。ひねくれ者の僕はロードマンに手を出さなかった。それは各論で。

【ラジカセ】

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中学生になると歌謡曲から洋楽ポップスやニューミュージックに好みが変化する。それとともに「何を聴くか」もさることながら「何で聴くか」も重要になってくる。ハードウェアのグレードアップ(差別化)によって自身の音楽好きをアピールするわけだ。

また自分の部屋を持つことも多く、そこで音楽を聴くとなればラジカセが最も効率的だ。リビングや応接間にあるステレオでFMラジオやレコードを録音したカセットテープを自室に持ち込んで聴くのが中学生流。ラジカセはマストアイテムだった。

衝撃的だったのはパイオニアのラジカセシリーズ「ランナウェイ」のTVCMだ。大陸横断列車Amtrakの映像が遥かな国アメリカを想起させる。黒人コーラスを真似たシャネルズ(のちにラッツ&スターに改名)の同名デビュー曲に乗せて、洒落たデザインのラジカセがテレビの画面に大映しになった。世の中高生男子は誰しもランナウェイを「欲しい!」と思っただろう。

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自転車に比べるとラジカセのほうが多士済々だ。パイオニアのほか、ソニー、ナショナル、東芝、日立、サンヨー、ビクター、シャープ、アイワなど電機メーカーが性能やデザインを競った。電機屋でもらえるカタログでスピーカーの直径や出力ワット数などを調べるだけでも楽しかった。部活でどのモデルを買ったかを互いに自慢し合った。「俺のはダブルカセットだぜ」「こっちはフルロジックボタンだぞ」とかね。だがラジカセの狂熱は短命で、別記事に書いたフルサイズコンポに興味が移っていく。

一眼レフカメラ

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カメラへの感心は実はもっと後かも知れない。自転車や音楽は普遍的だが、写真を撮るとなると趣味が入るのでみんなが買っていたと思えない。その意味では次点の腕時計のほうが普遍的だが、時計への執着はこれまた差があり、どちらを3位にするか難しい。ここは自分が憧れたカメラのほうにする。

家にはカメラがあったが、いわゆるレンジファインダーでKONICAだったと思う。いじるところが少なく扱いやすいのだが、中坊としてはいじり甲斐のあるマシンがほしいわけだ。欲しくなったキッカケを思い出せないが、その頃のトピックでいうとTVドラマ「池中玄太80キロ」で通信社カメラマン役の西田敏行キヤノン(キャノンではない)のA-1で北海道の丹頂鶴をバシャバシャ撮るのが「こういう世界があるのか」と面白かった。あのドラマ(土曜夜の日テレグランド劇場枠)は、高性能一眼レフの購買欲を訴求した一面があるだろう。個人的には、当時の(今も)親友Fがその廉価版AE-1を持っていたのも刺激になった(大人びた彼を追いかけていたフシがある)。

カメラを持ったところで撮りたいものがあるわけでなく、高校に上がるまでに欲しい(買える)モデルをじっくり決めようと考えた。当時はAE-1を筆頭にプログラムAEシャッタースピード優先機に人気が集中していたが高くて買えない。入門者向けの絞り優先機しか選択肢はなかった。東京のように中古カメラ市場が身近でなくディスカウントショップもない。情報が乏しいながらも密かに物欲を裡に育てていた。

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一眼レフのTVCMといえばミノルタX-7の宮崎美子が有名だが、あれを見てカメラがほしいとは思わなかった。ただエロいのが好きで見ていた(笑)。←ここが中坊の中坊たるゆえん

【次点:腕時計】

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この中では自転車の次に物欲をそそられた商品だろう。中学に上がると「学校に腕時計をしていってよい」という校則が拍車をかけた。入学式以後、同級生の左手が気になって仕方がなかった。腕時計なんかなくても校舎のいたるところに時計があるから不便はないが、物欲に弱い中坊は大人のアクセサリーのトリコになった。

ちょうど入学した時期(79年)にシチズンが衝撃的モデルを出した。デジアナと呼ばれる文字と針の両方を装備した腕時計だ。当然ながら自転車フラッシャー組(富裕層)はこのデジアナを左腕にはめていた。今で言ったらクロノグラフだが、不思議と羨ましいとは思わなかった(フラッシャーもそうだが)。要は家が貧乏だと成金趣味に反発したいがために、質素でシンプルな志向に走るのではなかろうか。

前述の親友FはセイコーのタイプIIをしていた。深いグリーンの文字盤のシンプルなクォーツ。まぁ無難な選択。一方で隣の小学校から進級してきた同級生の腕時計に度肝を抜かれた。Iはセイコーのダイバーズウォッチ(プロユース)、YはなんとRADOのゴールデンホースだった。聞けばおじいちゃんのお下がりだという。見るからにゴージャスで田舎の中学生がする時計にはとても見えない。ちなみに俺は今それをはめている。ヤフオクで1万円くらい。正確でよい時計。Iの時計は「ダイバーズウォッチ」なる存在を初めて教えてもらった。中学生の華奢な腕に似合わない無骨なデザインに魅せられた。いつかこんな時計が似合う男になりたいと思ったような思わなかったような。


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以上「三種の神器」、賛同してもらえるかわからないが、中学生の他愛ない物欲には賛同してもらえるかもしれない。雑誌の広告やテレビCMなど、いたるところに「大人の階段」が用意されていた。今もそれをのんびり昇っているような気がする。

奈良に行ってきた


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7月の「大人の修学旅行 京都篇」に続く第二弾。2泊3日の奈良行。相変わらずむちゃくちゃな移動経路となった。


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11/19 山小屋営業のため東京の職場から石巻へ(404km)

11/20 昼の営業を終えて仙台空港へ(65km)〜ピーチ便で関西空港へ(910km)〜新今宮(41km)

11/21 野暮用で岡山備前へ(224km)〜大阪〜なんば〜近鉄奈良(254km)

11/22 奈良市内観光①

11/23 奈良市内観光②〜近鉄奈良〜京都〜品川〜調布(575km)…計2163km


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思い出深いのは初日のスナック。岡山から奈良までゆらゆら到着、チェックイン後にホテルで近所の銭湯を教えてもらい、さぁどこかスナックはないかとググったらホテルにわりと近いところに見つけた。ほかに3名。一人はすぐ帰ったが残り二人(東京のカメラマンさんとそのご友人)と仲良くなり次の店へ。そのバーもいい店だった。翌日も奈良泊だと言ったら明日も飲もうと誘われた(結局流れてしまったが)。楽しい夜だった。

翌日は朝イチでレンタカーを借りて斑鳩方面へ。以下、インスタ報告のコピペ。

【大人の修学旅行 11/22⑴】
法隆寺
日本初の世界遺産。救世観音特別公開中
薬師寺
東塔修復完了記念玄奘三蔵院特別公開中
唐招提寺
東山魁夷作障壁画のある御影堂は修復中につき非公開。土砂降り
飛鳥寺
日本最古の仏教寺院、最古の仏像、蘇我入鹿首塚
石舞台古墳
巨大な横穴式石室


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【大人の修学旅行 11/23⑴】
興福寺
五重塔特別公開中。奈良公園とは興福寺から春日山原生林まで丘陵一帯だとは…
志賀直哉旧居
石巻生まれの文豪は今年没後50年
③新薬師寺
日本最古の十二神将。午年の守護神珊底羅大将の人形を買いました。山小屋に置きます


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春日大社
七五三参詣で賑わっていた
東大寺大仏殿
とにかくデカい。大和国分寺だったと初めて知った
東大寺二月堂
南都が一望できる舞台とお水取りの伝統が素晴らしい


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【大人の修学旅行 11/23⑵】
奈良国立博物館
吉野の金峯山寺仁王門金剛力士像特別公開中。新館は展示替えのため休館
奈良県立美術館
展示替えのため休館。奈良市美術館も


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元興寺
ゲンコウジではなくガンゴウジ。飛鳥寺の奈良移転先。日本最古の瓦葺き
④奈良漬の山崎屋
生姜の奈良漬をお土産に買いました
⑤わらび餅の中谷堂
大阪在住歴女友人オススメ
⑥大西湯
最後にひとっ風呂。一昨日はならまちの敷島温泉へ。京都もそうだったが関西の銭湯は熱い!


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総じて特別公開が多く、得した気分。思い切って行ってよかった。2日目は物分かりの悪いバーマスターと喧嘩して気分が悪かったが、奈良のせいじゃない。今回1回で終わらせるつもりは、ない。次回また奈良行のチャンスを狙いたい。

原付バイクがほしい(追記あり)

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キッカケは忘れたが、ホンダカブやスズキバーディーなどの原付バイクがヤフオクウォッチリストに数台登録されている。すべて宮城県内の出品だ。片っ端からリストに入れたんだろう。石巻にバイクを置きたい。リトルカブなら車幅も狭いからアパートの階段下に置けそうだ。

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寒くなったのもあるけれど、自転車よりもバイクのほうが遠くまで移動できる。アパートに置いておけば車で帰らない時もヤマヤまでビールをケースで買いに行ける。ちょっと気晴らしにトヤケ森や上品山まで行ける。頑丈なカブでいい。できれば4速。バイパスで50km/hくらい出せるから。

原付、じつは乗ったことないんだよね。もちろん普通免許を取る時に教習所で乗ったけど、所有したことがないという意味。あ、一度だけあるか。門脇の家にいた頃、おふくろが勤め先からタダでもらってきた。スズキのTS50ハスラー

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ちょうど浪人が決まった頃で、原付免許でも取るかと山下のホンダで講習を受けた。講師が門脇5丁目の桜井輪業の親父さんだった。同級生のお父さん。津波で亡くなったと聞いた。南無阿弥陀仏

免許を取るには仙台の七北田まで行かなきゃいけないのだが、結局行きそびれて期限が切れた。とても後悔している。あの時、原付免許取ってりゃあのハスラーを東京まで持って行けたのに。そしたらだいぶ違う学生生活になっていた(バイク免許は社会人になってから取った)。

時効だから言うが、実は夜中にこっそりハスラーを無免許で乗り回していた。浪人中のストレス解消(と言えばカッコつくけれど違うだろうな)。雲雀野海岸を50キロくらいでビーーーーンと飛ばした。都合10回くらいかな。幸いパトカーに追いかけられることもなく。

あのハスラー、カッコよかったな。いわゆるスクランブラーってやつ。オフでもなくオンでもない、70年代に流行ったタイプ。たぶんサカチョーさんが乗ってたんだろう。いま橋通りでROOTSをやってる人。そのうち本人に聞いてみよう。

【追記】

本記事を読んだ友人から「使わないスクーターでよければあげるよ」とメールがあった。うれしい。カブのイメージだったが厚意は素直に受け取りたい。年内に受け取れるかな。ケンジ、ありがとう!


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11/6(土) あの雲にまかせて

昼も坊主、夜もこのまま誰も来ないだろうなとエプロンを外したタイミングでご新規2名様ご来店。カウンターじゃなくテーブル席に座った。つまり相手しなくてよいということ。

男性がコークハイを注文したがコカコーラがないのでジンジャーハイにしてもらった。女性はトマトジュース。つまみはいぶりがっこチーズとホンコン焼きそば。先に書いておくとこれで2400円。我ながら激安だなぁ。ソフトドリンクでも500円とってよいかも。

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カップルかと思ったら友人同士らしい。お互いの恋愛相談。聞かないようにとワラワラ仕事を始めた。製氷機の水栓修理。水がポタポタ落ちるので分解して中のケレップとパッキン全部交換。レンチでギリギリと締めたら顔面シャワー。古い水道管に亀裂が入ってしまった。もう限界だ。修理しなきゃ。ブチルテープでグルグル巻きに。またポタポタしはじめた。


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二人は11時過ぎに退店。客と全くしゃべらずに終わるのは初めてかも。あちらはそういうのを求めてないからね。こういう使い方もアリですよ、山小屋は。

鍵を締めて飲みに出た。近場で済まそうと斜向かいのスナックおり姫へ。先客が帰ってからママとおしゃべり。そんなに久しぶりではなかったが結構話し込んだ。最後はかなりシリアスな話に。以下備忘録。

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確か、元新聞記者のTさんが店に来た話をしたことから始まったと思う。前にも書いたがTさんは身を乗り出して問い質してきた(10月の話)。

「いったい何を求めて山小屋を始めたの?」

さぁよくわからない。10年間の落とし前をつけたろかって気分。この11月で半年過ぎた。楽しいことは確かだけれど、ただ楽しいだけの趣味でやってるつもりもない。石巻に根を下ろす足場固め、そう言い続けてきた。何からやればよいかわからず、とりあえず店を出してみた、その程度。

山小屋が“正解”なのかはわからないーーみたいな話をTさんとしたよ。ママはTさんのバトンを受け取ったつもりになって次々と質問をぶつけてくる。

「将来、会社を辞めるとか石巻に住むとかどうするの?」

未計画。いま55歳で定年まで5年だけど、その間に定年は65歳に延びるだろう。別にうれしくない。今すぐにでも辞めたいが、会社の給料なしに店を続けられないし子供の学費もある。あと3年はこのままだろうな。

この店も自分がやるはずじゃなかった(去年8月の記事「開店 事の発端」参照)。アテにしていた先輩がドロップして、前のめりの勢いを止められず一人で引き受けた。その余勢が今に至る。

坂道を下った助走エネルギーはとっくに切れているので、あとは自力で漕いで自転車操業。壁にぶつかったら再起動できるのかしらん。できるとして、その熱源はいったい何か? 客だね。客に会いたいから。でもそれって、本当の足場固めになってるのだろうか?

「門脇の土地に店舗兼自宅を建てるという話はないの?」

かなり昔に考えたよ。あの町に灯りをともそうと兄貴と一緒に食堂でもやるかとFacebookで言い続けた。「55歳までに決断する」とまで書いた。みんな忘れてるだろう(誰も読んじゃいない)。俺も忘れてたよ。でも気づいたら55歳で店を出していた。有言実行? いやいやただの偶然。10年経って潮目を変えたいとは思ったけどね。

店ってアドバルーンなんだよ。山崎まさよしじゃないけれど「ぼくはここにいる」っていうサイン。またはクレイジーケンバンドの「俺の話を聞け」か。

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「門脇に家を建てたいなら会社にいるうちにしたら? 辞めてから銀行貸してくれるかな」

たしかにね。東京の家のこともあるしそう簡単にはいかないけれど、本気で移住するつもりならちゃんと考えなきゃ。店に注ぎ込んでる金をそっち(家)に回せばできない話じゃなかったかも。仮にそうなら、店を始めたのは失敗ってことになる。金ばかり出て行って将来の展望が描けない。うわヤバいなそれは。

誰に相談すればよいのだろう? 門脇の土地は、将来は娘のもの。更地で残すのか上物付きか。兄貴の老後のこともあるし早く家を建てたい。店なんかやってる場合じゃなかったかもな。宝くじが当たるのを待つしかないか。

時計を見たら午前3時を回っていた。4時間も話したのか。帰ろう。

「歌ってもらいたい歌があったのにな。『出航(さすらい)』」

あー寺尾聰の。前に歌ったよね。でも眠いから今日は帰る。おやすみ。

♫どんな恋だって 色あせ崩れゆく
いつの日かこの俺も 命尽き果てるなら
あの雲にまかせて 遥かに彷徨い歩く
生きてゆく道連れは 夜明けの風さ

https://youtu.be/sExHUmfHy0k

10/31(日) 山小屋は意識高い系?

部外者の出る幕ではないが、元アイドルの自民党公認候補が地元選出のベテラン議員に挑んだ今回の総選挙……

 

ストォーーーーップ! 

 

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……てなことを書きたがるから、山小屋はいつも閑散としている、そう思いはじめている今日この頃。飲み屋だぞ。NPOや勉強会ではないのだ。なぜ高邁ぶる? 個人Facebookでもそうだ。震災以後、これだけ故郷を想っているのだぞと石巻愛を振りかざす。選挙にでも出るつもりか。

インスタも、何だあれは。本や美術の話ばかり。ゴタクを並べたて、客を選別していないか? みろ、始めた頃に来てくれていた地元客が誰も来なくなったじゃないか。「意識高い系の客が集まる飲み屋はここですか?」と言われてるに決まってる。硬い話ばかりする店で、いったい誰が飲みたがるのか? もちろん政治の話はご法度のつもりだが、石巻の話題にキャッチアップしたいばかりについ口や筆が滑る。スマホだから指か。

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2.0や本棚の人たちが日常的に使ってくれたり、石巻を訪れたマスコミや大学先生方が面白がってくれたりするのは本当にありがたい。でもそんな店にしたいと思って始めたわけじゃない。小中高の同級生たちが、門脇町南浜町の人たちが、気軽に集える場を作りたかっただけだ。

どこで道を間違えたか? これは自分が悪いのだが、震災後10年、この近辺で飲み歩いてきた中で、親しくなったママやマスターに東京の名刺を渡していた。その俺が山小屋を始めた。いつの間にか「ハッピーエンドの下にブックバーが出来るらしい」「山小屋のマスターは新聞記者らしい(←誰かと勘違いしている)」という噂が広まっていた。何だブックバーって? 飲み屋で本読んで楽しいのか?

ぜんぶ俺が配った名刺のせいだ。オープンする前から「元門脇住民が始める店」ではなくなっていた。軌道修正も面倒くさいし、音楽で売ろうにも2階のハッピーエンドとかぶるしで、もうブックバーでいいやと開き直った。本棚をつくって古本を並べ、壁には絵や版画をかけた。


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「いい雰囲気ね」と言ってくれる客も多い。こんな店が欲しかったとも。自分なりに「山小屋」のイメージを積み上げ、趣味やキャラをある程度押し出して、俺丸出しの店になったことは、なった。でもそれは、入りやすい店なのだろうか? 好事家が集う、常連色の強い店になっちゃいないだろうか?

近所のスナックママからも「私なんかが行っていいの?って思う」と言われた。ちょっとショックだった。無味無臭なバーよりはクセの強いバーのほうがいいに決まってるけれど、「あそこは意識高い系の人が飲む店」と敬遠されては困る。そもそも俺が問題だ。変わり者のマスターと思われてはいないか?

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インスタの流れを変えよう。こんな「文化人でござい」みたいな臭い投稿は自粛。すぐにキャラ変できないとは思うが、徐々に変えていこう。

10/24(日) アナログレコード撤退

ヤフオクハードオフで買ったレコードプレイヤー(ターンテーブル)を何台か、店に持ち込んでいた。もちろんお気に入りのアナログレコードも。

アナログレコードがかけられる店だからといって、音楽をすべてレコードプレイヤーで、ということにはならない。好きな調度品で店を飾りたかっただけのことだ。

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開店して半年となるこの10月末、レコードプレイヤーを撤去することにした。山小屋でレコードをかけることは、しばらくない。いや二度とか。それはわからない。今後の情勢次第。アナログレコードがかけられないからといって、山小屋の価値が下がるわけではない。そう思いたい。

かけたい人はどうぞレコードバーに行ってくれ。確か近くにあったと思うぞ。