港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

昭和の中学生 三種の神器

①スポーツ自転車

②ラジカセ

一眼レフカメラ

(次点:腕時計)

個人的な考えなので皆に当てはまらないが、あれから40年近く経っても凌ぐものが思い当たらない。ここでは概論にとどめ個人史など各論は別記事にしたい。

【スポーツ自転車】

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自転車は小学校時代から「マイカー」の位置にある。僕らの頃は黒いボディーの5段変速のいわゆる「ジュニアスポーツ」が主流。金持ちの友達はフラッシャー付きに乗っていた。最大手ブリヂストンはデジメモ(カチカチと変速できる)やスピードメーターが標準装備。ほかにミヤタやマルイシなどがリトラクタブルライトやディスクブレーキ装備を出していた。26インチが主流だったが20〜22インチでアップハンドルのミニサイクルというのもあった。友達のを借りたら軽くて乗りやすかった。

こうした自転車で徒党を組んでどこまでも行った。1978年6月12日、宮城県沖地震のときは隣町の柳の目バッティングセンターにいた。翌日学校で先生が「昨日の地震すごかったね。どこにいたの?」と訊かれたが雲雀野公園にいたとウソをついた。あんな遠くまで行ってたと言ったらゲンコツ食らう。あれは本当に怖かった。地面が大きく揺れ、縦型のゲーム機(パチンコ台など)がバタバタ倒れ、バッセンのネット支柱がユラユラと揺れた。自転車に飛び乗り大急ぎで門脇に帰った。

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中学に上がるとフラッシャー組はブリヂストンのロードマンに次々乗り換えた。ドロップハンドルのレーサータイプで大人気だったが禁止されていたのでアップハンドルに換えていた。ロードマンは一億総中流的な自転車。車で言えばマークIIか。バカ売れしたのでミヤタはカリフォルニアロード、丸石はロードエース、富士はフェザーコンポと同じ価格49800円で追随した。ジャンプやサンデーなど少年誌には必ずこの手のスポーツ車が広告を出していた。ひねくれ者の僕はロードマンに手を出さなかった。それは各論で。

【ラジカセ】

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中学生になると歌謡曲から洋楽ポップスやニューミュージックに好みが変化する。それとともに「何を聴くか」もさることながら「何で聴くか」も重要になってくる。ハードウェアのグレードアップ(差別化)によって自身の音楽好きをアピールするわけだ。

また自分の部屋を持つことも多く、そこで音楽を聴くとなればラジカセが最も効率的だ。リビングや応接間にあるステレオでFMラジオやレコードを録音したカセットテープを自室に持ち込んで聴くのが中学生流。ラジカセはマストアイテムだった。

衝撃的だったのはパイオニアのラジカセシリーズ「ランナウェイ」のTVCMだ。大陸横断列車Amtrakの映像が遥かな国アメリカを想起させる。黒人コーラスを真似たシャネルズ(のちにラッツ&スターに改名)の同名デビュー曲に乗せて、洒落たデザインのラジカセがテレビの画面に大映しになった。世の中高生男子は誰しもランナウェイを「欲しい!」と思っただろう。

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自転車に比べるとラジカセのほうが多士済々だ。パイオニアのほか、ソニー、ナショナル、東芝、日立、サンヨー、ビクター、シャープ、アイワなど電機メーカーが性能やデザインを競った。電機屋でもらえるカタログでスピーカーの直径や出力ワット数などを調べるだけでも楽しかった。部活でどのモデルを買ったかを互いに自慢し合った。「俺のはダブルカセットだぜ」「こっちはフルロジックボタンだぞ」とかね。だがラジカセの狂熱は短命で、別記事に書いたフルサイズコンポに興味が移っていく。

一眼レフカメラ

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カメラへの感心は実はもっと後かも知れない。自転車や音楽は普遍的だが、写真を撮るとなると趣味が入るのでみんなが買っていたと思えない。その意味では次点の腕時計のほうが普遍的だが、時計への執着はこれまた差があり、どちらを3位にするか難しい。ここは自分が憧れたカメラのほうにする。

家にはカメラがあったが、いわゆるレンジファインダーでKONICAだったと思う。いじるところが少なく扱いやすいのだが、中坊としてはいじり甲斐のあるマシンがほしいわけだ。欲しくなったキッカケを思い出せないが、その頃のトピックでいうとTVドラマ「池中玄太80キロ」で通信社カメラマン役の西田敏行キヤノン(キャノンではない)のA-1で北海道の丹頂鶴をバシャバシャ撮るのが「こういう世界があるのか」と面白かった。あのドラマ(土曜夜の日テレグランド劇場枠)は、高性能一眼レフの購買欲を訴求した一面があるだろう。個人的には、当時の(今も)親友Fがその廉価版AE-1を持っていたのも刺激になった(大人びた彼を追いかけていたフシがある)。

カメラを持ったところで撮りたいものがあるわけでなく、高校に上がるまでに欲しい(買える)モデルをじっくり決めようと考えた。当時はAE-1を筆頭にプログラムAEシャッタースピード優先機に人気が集中していたが高くて買えない。入門者向けの絞り優先機しか選択肢はなかった。東京のように中古カメラ市場が身近でなくディスカウントショップもない。情報が乏しいながらも密かに物欲を裡に育てていた。

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一眼レフのTVCMといえばミノルタX-7の宮崎美子が有名だが、あれを見てカメラがほしいとは思わなかった。ただエロいのが好きで見ていた(笑)。←ここが中坊の中坊たるゆえん

【次点:腕時計】

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この中では自転車の次に物欲をそそられた商品だろう。中学に上がると「学校に腕時計をしていってよい」という校則が拍車をかけた。入学式以後、同級生の左手が気になって仕方がなかった。腕時計なんかなくても校舎のいたるところに時計があるから不便はないが、物欲に弱い中坊は大人のアクセサリーのトリコになった。

ちょうど入学した時期(79年)にシチズンが衝撃的モデルを出した。デジアナと呼ばれる文字と針の両方を装備した腕時計だ。当然ながら自転車フラッシャー組(富裕層)はこのデジアナを左腕にはめていた。今で言ったらクロノグラフだが、不思議と羨ましいとは思わなかった(フラッシャーもそうだが)。要は家が貧乏だと成金趣味に反発したいがために、質素でシンプルな志向に走るのではなかろうか。

前述の親友FはセイコーのタイプIIをしていた。深いグリーンの文字盤のシンプルなクォーツ。まぁ無難な選択。一方で隣の小学校から進級してきた同級生の腕時計に度肝を抜かれた。Iはセイコーのダイバーズウォッチ(プロユース)、YはなんとRADOのゴールデンホースだった。聞けばおじいちゃんのお下がりだという。見るからにゴージャスで田舎の中学生がする時計にはとても見えない。ちなみに俺は今それをはめている。ヤフオクで1万円くらい。正確でよい時計。Iの時計は「ダイバーズウォッチ」なる存在を初めて教えてもらった。中学生の華奢な腕に似合わない無骨なデザインに魅せられた。いつかこんな時計が似合う男になりたいと思ったような思わなかったような。


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以上「三種の神器」、賛同してもらえるかわからないが、中学生の他愛ない物欲には賛同してもらえるかもしれない。雑誌の広告やテレビCMなど、いたるところに「大人の階段」が用意されていた。今もそれをのんびり昇っているような気がする。