港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

11/6(土) あの雲にまかせて

昼も坊主、夜もこのまま誰も来ないだろうなとエプロンを外したタイミングでご新規2名様ご来店。カウンターじゃなくテーブル席に座った。つまり相手しなくてよいということ。

男性がコークハイを注文したがコカコーラがないのでジンジャーハイにしてもらった。女性はトマトジュース。つまみはいぶりがっこチーズとホンコン焼きそば。先に書いておくとこれで2400円。我ながら激安だなぁ。ソフトドリンクでも500円とってよいかも。

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カップルかと思ったら友人同士らしい。お互いの恋愛相談。聞かないようにとワラワラ仕事を始めた。製氷機の水栓修理。水がポタポタ落ちるので分解して中のケレップとパッキン全部交換。レンチでギリギリと締めたら顔面シャワー。古い水道管に亀裂が入ってしまった。もう限界だ。修理しなきゃ。ブチルテープでグルグル巻きに。またポタポタしはじめた。


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二人は11時過ぎに退店。客と全くしゃべらずに終わるのは初めてかも。あちらはそういうのを求めてないからね。こういう使い方もアリですよ、山小屋は。

鍵を締めて飲みに出た。近場で済まそうと斜向かいのスナックおり姫へ。先客が帰ってからママとおしゃべり。そんなに久しぶりではなかったが結構話し込んだ。最後はかなりシリアスな話に。以下備忘録。

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確か、元新聞記者のTさんが店に来た話をしたことから始まったと思う。前にも書いたがTさんは身を乗り出して問い質してきた(10月の話)。

「いったい何を求めて山小屋を始めたの?」

さぁよくわからない。10年間の落とし前をつけたろかって気分。この11月で半年過ぎた。楽しいことは確かだけれど、ただ楽しいだけの趣味でやってるつもりもない。石巻に根を下ろす足場固め、そう言い続けてきた。何からやればよいかわからず、とりあえず店を出してみた、その程度。

山小屋が“正解”なのかはわからないーーみたいな話をTさんとしたよ。ママはTさんのバトンを受け取ったつもりになって次々と質問をぶつけてくる。

「将来、会社を辞めるとか石巻に住むとかどうするの?」

未計画。いま55歳で定年まで5年だけど、その間に定年は65歳に延びるだろう。別にうれしくない。今すぐにでも辞めたいが、会社の給料なしに店を続けられないし子供の学費もある。あと3年はこのままだろうな。

この店も自分がやるはずじゃなかった(去年8月の記事「開店 事の発端」参照)。アテにしていた先輩がドロップして、前のめりの勢いを止められず一人で引き受けた。その余勢が今に至る。

坂道を下った助走エネルギーはとっくに切れているので、あとは自力で漕いで自転車操業。壁にぶつかったら再起動できるのかしらん。できるとして、その熱源はいったい何か? 客だね。客に会いたいから。でもそれって、本当の足場固めになってるのだろうか?

「門脇の土地に店舗兼自宅を建てるという話はないの?」

かなり昔に考えたよ。あの町に灯りをともそうと兄貴と一緒に食堂でもやるかとFacebookで言い続けた。「55歳までに決断する」とまで書いた。みんな忘れてるだろう(誰も読んじゃいない)。俺も忘れてたよ。でも気づいたら55歳で店を出していた。有言実行? いやいやただの偶然。10年経って潮目を変えたいとは思ったけどね。

店ってアドバルーンなんだよ。山崎まさよしじゃないけれど「ぼくはここにいる」っていうサイン。またはクレイジーケンバンドの「俺の話を聞け」か。

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「門脇に家を建てたいなら会社にいるうちにしたら? 辞めてから銀行貸してくれるかな」

たしかにね。東京の家のこともあるしそう簡単にはいかないけれど、本気で移住するつもりならちゃんと考えなきゃ。店に注ぎ込んでる金をそっち(家)に回せばできない話じゃなかったかも。仮にそうなら、店を始めたのは失敗ってことになる。金ばかり出て行って将来の展望が描けない。うわヤバいなそれは。

誰に相談すればよいのだろう? 門脇の土地は、将来は娘のもの。更地で残すのか上物付きか。兄貴の老後のこともあるし早く家を建てたい。店なんかやってる場合じゃなかったかもな。宝くじが当たるのを待つしかないか。

時計を見たら午前3時を回っていた。4時間も話したのか。帰ろう。

「歌ってもらいたい歌があったのにな。『出航(さすらい)』」

あー寺尾聰の。前に歌ったよね。でも眠いから今日は帰る。おやすみ。

♫どんな恋だって 色あせ崩れゆく
いつの日かこの俺も 命尽き果てるなら
あの雲にまかせて 遥かに彷徨い歩く
生きてゆく道連れは 夜明けの風さ

https://youtu.be/sExHUmfHy0k