港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

10/9(土) 石巻の絵描きたち

 

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石巻のフォトジェニックな街角を瑞々しいパステル画で表現した故浅井元義先生の展覧会が今年もやってくる。長年教壇に立った県立石巻女子高校(現好文館高)美術部OGさんたちの、恩師顕彰活動の一環で、2018年の没後から3回目になるだろうか。毎年行ってるつもりだが去年の記憶がない。コロナでやらなかったかもしれない。

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9月に門脇のまねきショップ前の掲示板でポスターを見つけたので、店内に貼りたいとOGさんに提供をお願いしたら幹事数名でご来店いただいた。早速壁に貼り、インスタで紹介した。

浅井先生とは生前あまりご縁がなかった。高校で美術部だったので当時から御高名を存じ上げていた。当時(1983〜4年)「五高会」という交流会があり、石巻高校、石巻女子高、市立女子高、工業高、商業高の美術部で通年活動した。スケッチ会や日和山野外展、川開き祭りには観慶丸本店(新館)で前で似顔絵描きをした。秋の五高展はホシノ2階だった。今のニューゼやレストラン茅(かや)があるところだ。

そのなかで浅井先生率いる石巻女子校(セキジョ)美術室に集まって人物デッサンの講習会があり、そこで初めてお会いしたと記憶するが、他校男子部員を相手するわけもなく、人物デッサンなんてどうすりゃいいのさ?とわけもわからず美術室の真ん中に鎮座した某女子(いまや山小屋常連さんである!)を黙々とデッサンしたという苦い?思い出があるのみ。浅井先生の思い出でも何でもないが。

叔父(母の弟)が浅井先生と高校同期だったのでよく話を聞いた。当時から絵が巧かったらしい。親父の大学後輩でもあり、ともに市内高校教員だったので名前くらいご存じかと思い、2014年頃にナリサワギャラリーの黄土展(市内美術団体)会場で浅井先生をお見かけした際に名刺を渡したのだが、親父もお袋(押し絵師範)も記憶にないとのことだった。

浅井先生や叔父と同学年で、熊倉保夫さんという画家がいた。生前は存じ上げなかったが、震災後に息子(高校同期)が作っているカレンダーを毎年購入して愛用している。個人的には熊倉さんのほうが好きだ。浅井先生のは絵になりすぎているのと、パステルの柔らかな感じが自分の志向と異なる。熊倉さんの大胆な構図、荒々しいマチエールのほうが、石巻という街を現しているように思う。

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翻ってわが石巻高校美術部恩師、橋本和也先生は、黄土展のほかに中央画壇の旺玄会にも出品していたが、描く絵はラグビーばかり。美術部顧問のくせにラグビー部の練習ばかり。指導していたのかスケッチしていたのかわからないが、とにかく美術の指導を受けた記憶がない。まぁそういうところがウチらしいのだが。浅井先生は、その点はキチンと指導していたのだろう。だからOG会が熱心なのだ。

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橋本先生の絵が一枚、山小屋に飾ってある。仙台の叔母(お袋の末妹)宅にあったものを開店祝い代わりにもらった。1979年頃に家を建てた際にお袋が新築祝いに贈ったものだ。橋本先生の奥さんと短歌仲間だったので家族ぐるみのおつきあいをさせていただいていた。造船所のクレーンが居並び当時の中瀬の活気を思わせるが、どこか冷静な視点に見えるのはマット(艶消し)の絵の具を使っているからだろうか。浅井・熊倉両画伯の画風とも違い、こちらも味わいがある。

ほかに絵描き・美術教師で思いつくのは、東条照夫先生。門脇中で教わった。親父の一個下なので90歳近いが今もお元気で、先日も南浜復興祈念公園内のカフェどんぐりで個展をやったばかりだ(それには行けなかったが昨年のイトーヨーカドーあけぼの店個展でご挨拶した)。

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東条先生はちょっと硬いところがあって、お袋の押し絵展に来て「遠近がおかしい」と指摘して帰ったと、お袋が怒っていた。押し絵は浮世絵や美人画を元絵とする絵画表現なので西洋の画法と相容れないのは当然だが、許容し難かったのだろう。

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ここに紹介した絵描き(恩師)それぞれに石巻を想い、自らの表現を駆使して石巻を描いた。多少なりとも交わった者として、その顕彰作業には関わっていきたい。山小屋に来れば、そうした絵が見られるという環境をできるだけ維持したいと考えている。(マジメか!)