港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

10/16(土) マリーが石巻にやって来た

東京狛江(こまえ)のスナック「ジュリー」のママが、仙台のエレクトロンホール「沢田研二ソロ活動50周年記念コンサート」参戦からの来石。7月にりんごママと二人で来たのに続いて二度目だ。昨夜は門小同級生3人が偶然勢揃いしたところへ、松ばるで食事を終えてきたジュリーママ(以下マリー。自称)も加わって、沢田研二談義で盛り上がった。僕ら世代にとってジュリーは、同時代を代表するスターそのものだった。

小学生の頃、今はなき石巻市民会館でコンサートをしたジュリーがその日の夜のTBS「ザ・ベストテン」(21時放送開始)にチャートイン、日和山の鹿嶋御児神社から生中継した話をマリーに自慢げに聞かせてやった。

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同級生たちはその場にいたそうだ。テレビを見ていた僕は、日和山からの中継が始まると知り、門脇町の家を飛び出し道路に出て、すぐ前にある日和山から聞こえてくるジュリーの美声に酔い痴れた。あれは「カサブランカダンディー」だったと思う。スポットライトを浴びた大鳥居が神々しく輝くのを見て、「すぐ近くに昭和の大スターがいるんだ」と興奮したものだ。1979年、小6の冬。もう40年以上前の話だ。マリーも楽しそうに話を聴いていた。
閉店後、前回の来石で仲良くなった駅前アゲインに一緒に向かった。同世代ママと再会を果たし、7月に入荷リクエストをしていたたアニソン(パタリロクックロビン音頭」)をかけてもらい大感激。その後も二人で70年代80年代歌謡曲のリクエスト合戦で盛り上がった(もう一人いたっけw)。


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マリーは日曜まで2泊して、松ばるをはじめ、おり姫、ハッピーエンド、RED、六文銭と、この古井戸通り界隈をほとんど回り、「どこで何を食べて美味い。石巻レベル高すぎてヤバい」と感心していた。自分の街をそこまで高評価しないけれど、彼女もジュリー追っかけで全国を旅しており、店でも心づくしの料理を食べさせてくれるので、嘘ではないだろう。旅先で食す料理と酒は格別なのだろう。

自分ではグルメのつもりはないが、石巻は「言うほど美味いかな?」という感覚が強い。石巻に居すぎて舌が鈍感になったのかもしれない。心残りは、大王(ターワン)に連れて行けなかったことだ。「日本一うまいタンメンを食わせてやる」と豪語したその日に…。※7/17ブログ参照

最後は隣のbugに連れて行った。店をやる醍醐味と不安ついて語った。ユースケ君も15年やっても不安は消えないとのこと。そんなもんなんだな。ホテルまで送って別れた。明日早く石巻を発ちジュリー横浜ライブに参戦するという。石巻で会うのはこれが最後かもしれないな。日和山や南浜町に連れて行けなかったけれど、もういいだろう。「大津波で壊滅した街」ではなく「食のレベルが高い街」でいいじゃないか。