港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京在住(石巻出身)オーナーYがゆるーく情報発信しています。

アナログレコードのこと〜平成篇〜

【9/16承前】大学3年の冬、昭和から平成に元号が変わった。たいして勉強もせず、ゼミやサークル活動に明け暮れた。週1枚ペースで買い続けたレコードは200枚ほどになっただろうか。

この頃バイブル(レコード参考文献)にしていたのは「The Illustrated Rock Handbook」という洋書だった。大学1年のときに池袋西口芳林堂書店洋書コーナーで買い、穴が開くほど読んだ。

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ミュージシャンやグループの名前を記憶に叩き込み、中古レコード店で見つけた未知のアーティストをそれと照らし合わせて購入するというのが当時の購入スタイル。よって200枚のコレクションは体系的になりようもなく、重箱の隅にある米粒の寄せ集めだったが、自分にとってそれはロックという大きな氷山の一角であり、その遥か下方に巨大なロック音楽が埋もれているイメージだった。ポピュラーで手に入りやすい音源は買わずにFMで聴けばよく、ここで買わねば一生聴けないであろう音源(そんなことはないのだが)ばかり買っていた。この本はそういう志向にとてもマッチしていた。グループのメンバー変遷を家系図的にまとめたファミリーツリーも楽しかった。

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4年の5月頃、学内を歩いているとゼミの先輩(院生)に声をかけられた。

「昨日が卒論のテーマ提出期限だったけどお前の出ていなかったぞ」

やっちまった。これで卒業できなくなった。卒論を書かないと卒業できないような単位の取り方をしていた。そうしなければ卒論から逃げるだろうと自分を戒めるためだった(卒論を出さずとも卒業できる学科にいたので)。まさに「自分のの首を絞めた」わけだ。

これで就職活動が遠のいた。親に何と言おう? 仕送りも止めないと。何より今の生活を改めなければ。まずは2年進級時に退寮した寮に戻ることにした。前から戻りたかったが同室だった先輩に「出戻りは好かん」と言われていた。70年安保時代から続く古い価値観の寮だった。その先輩もいなくなり(中退)、最上級生だったので戻りやすかった(もちろん留年を繰り返している先輩もウジャウジャいた)。臨時の寮生大会を開いてもらい「恥ずかしながら帰ってまいりました」と頭を下げた。

その後は生活費を切り詰め仕送りも止めた。塾講師や家庭教師で糊口をしのぎ、寮では退寮した借りを返すべく各種委員会に入って新入生並みに働いた。ちょうど食堂のオヤジさんが定年退職になり職員補充しないと決めた大学当局に食堂存続を求める交渉が激化するなか、自主入寮選考(寮生が新入寮生を選考する)までもが争点化し、学内デモやビラ撒き、教室討論会を繰り返した。寮の会議は毎晩のように行われ、寝ぼけマナコで大学に通い、1年生と席を並べて一般教養を受ける毎日で、レコードどころでなくなった。当時の多忙ぶりを示す忘れられない一日がある。

6時半 起床

7時半 大学正門集合、ビラ撒き

8時半〜 1・2限出席

12時 ゼミレポーター会議出席

13時 3限出席

15時 大東流合気柔術稽古(小平の佐川道場)

18時 塾講師バイト(新所沢)

21時 帰寮。風呂掃除

22時半 寮の会議出席

25時 レポート作成

27時 就寝(マージャンだったか?)

寮運動とバイトで忙しかったが、卒業したい一心で単位取得と就職活動はできる限りやった。単位数でいうと、2年修了時に進級ギリギリの62単位で、3〜4年でおそらく30単位、5年生の1年間で50単位は取っただろうか。お尻に火がつかないとやれない性格なのだ。寮運動に明け暮れる姿を見て、周囲からは「もう1年留年確実」と見られていたらしいがギリギリ踏みとどまった。卒論テーマも今度はちゃんと提出した。「柴田翔研究」にした。

6月頃から就職活動が本格化した。出版や新聞など文字メディアに進みたくて東京に来たはずが、音楽産業ばかりを受けた。やはりバブルの影響なのだろう。「好きなことを仕事にできる」と勘違いしていた。FMとレコードに世話になっていたので、その方面ばかりを受けた。

FM東京(前年にTFMにCI変更したが正社名は今も株式会社エフエム東京

CBSソニー(現ソニーミュージックエンターテイメント)

・ポリドール(現ユニバーサルミュージック

ワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック

東芝EMI(現ユニバーサル傘下)

・BMGビクター(現ソニー傘下)

音楽之友社

シンコーミュージック

レコード会社は洋楽に絞り、テイチクやキングなど邦楽系・演歌系は受けなかった。開局したばかりのJ-Waveも一瞬考えたが、エアチェック向きの局ではなかった。上記はすべて朝日新聞の募集広告に載ったもの。当時はそれしか情報源がなかった。5月頃から日曜の朝刊に新卒対象の社員募集記事が見開きでびっしり掲載される。そういう時代だった。これはと思うものを切り抜き、履歴書を片っ端から送った。当時はエントリーシートなるものはなく、広告に作文テーマが書いてあり、それを手書きで書いて同封した。

書類審査を通過すれば筆記試験。FM東京は池袋サンシャインビルの大会議室、CBSソニーは市ヶ谷アルカディアの大ホールなど、一度に数百人が筆記に臨んだ。壮観だった。隣に応援団と思われる学ランに下駄ばきの蛮カラ学生が座ったり、受けたあとで周りに声をかけてお茶しに行って、どこを受けた、どこがどうだった、と情報交換したりした。

書類選考や筆記試験で落とされることはなく、ほとんどの会社で二次面接に進めたが、うまくいかない場面もあった。市ヶ谷(百恵ビル)のCBSソニーは、二次面接の電話連絡を受けた寮後輩の伝言ミスで行けなかった(電話が来たのを後で知った)。神保町のシンコーミュージックはサークル(大東流合気柔術)の夏合宿で志賀高原に行き、打ち上げ後に夜行列車で東京に戻るはずが酔っ払って寝てしまい完全にすっぽかした。あの時は連絡もせずごめんなさい(それくらい売り手市場で学生優位だった)。

溜池の東芝EMIは途中から経理の面接に変わったが、辞退したか落ちたか忘れた。「これだけロックに詳しい人間が経理職なんて」と思ったのは確かだ。われながら傲岸だったと思う。神楽坂の音友は筆記と面接が同日で、作文テーマが「BGM」だったのは覚えているが面接は忘れた。編集者も芸大卒ばかりで社風に合わない気がした(酸っぱい葡萄)。

FM東京半蔵門)、ワーパイ(青山)、BMG(渋谷宮益坂)はいずれも最終面接で落ちた。ワーパイの社長に「あなたは話し上手か聞き上手か」と訊かれて困った。どう答えればよかったのかいまだにわからない(笑)。BMGの社長に「最近買ったCD(レコード)は何か」と訊かれ、得意げに「OsibisaとSally Oldfieldです」と答えたらドン引きされた。B'zやB.B.クイーンズを抱えるレーベルにプログレ好きは要らなかったのかも。もっと工夫・演出すべきだった。

第一志望のFM東京の最終面接をまったく覚えていない。カリスマ社長の後藤亘さんがいたはずだが何を訊かれたんだったか。待合室で総務課長Nさんと世間話をしたことは覚えている(のちに大変お世話になった)。「寮で電話に出たおじさん、面白い人だね」「あー、食堂のおやっさんです。いつも下ネタばかり言ってますがみんなから慕われてるんです」てな具合だった。

どこの面接でも留年した理由を散々訊かれた。こちらは本当のこと(卒論テーマ提出ミス)を言ってるのに嘘に聞こえてイヤだった。どっちにしろだらしないのは確かだ。最終選考で迷ったら留年した学生を落とすのは当然だ。

面接の数日後、FM東京のN課長から電話があり「関連会社を受けてみないか」とのことだった。「ミュージックバード」という会社でCS(通信衛星)を使った音楽専門デジタルラジオという。しかも6チャンネル、ジャンル別放送。エアチェック好きの身としてはガゼン興味を持った。開局スタッフになれるのも魅力的で一も二もなく応諾した。作文など筆記はFMのが流用され、最終面接一発勝負だった。

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面接会場はFMセンタービルに隣接するフェルテ麹町ビル(写真左)。総務部長のTさん(FM東京から出向。元アナウンサー)、編成部長のTさん(FM東京。クラシック番組専門)、営業部長のNさん(博報堂)、技術部長のIさん(NEC)がいた。志望動機を尋ねられても「受けろと言われた」とも言えず、そこはなんとか形にした。たぶんエアチェックの話をしたと思う。逆質問を許されたときに社名の由来※を尋ねたら、Iさんが「僕らも来たばかりでわからないんだ」と笑った。実際、株主から出向者を集めた寄り合い所帯で、次年度に新卒を5人も採るという発想がバブルそのものだったわけだが、学生の分際でそこまで感じとることは難しかった。

※当時は通信衛星を、羽根を広げた形から鳥に喩える呼び方があった(三菱商事系のスーパーバードなど)。ミュージックバード伊藤忠三井物産系の通信衛星JC-SAT2号を使っていたので「バード」は不適当なのだが。

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ほかにポリドール(池尻大橋)だけが最終面接に進んでいた。最後は面接というより入社意志確認で、人事部長・総務部長と面会した。人事部長が、卒論に選んだ柴田翔を愛読しているとわかり二人で盛り上がっている横で、総務部長がキョトンとしていた。

結果、両社とも内定を勝ち取ったがさすがに迷った。新しいラジオ放送局立ち上げか、伝統ある外資系レコード会社か。いや、迷ったのは半蔵門か池尻大橋か、かも。卒業後は寮のある西武池袋線沿いに住みたいと思っていたので(マージャンに通いたい)、有楽町線で麹町に出れば半蔵門まで徒歩で通える。田園都市線はなじみがなく家賃も高い、ということでミュージックバードを選んだ。

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池尻大橋まで内定辞退のお詫びに行き、帰りに池袋シネマロサで映画を観た。ホドロフスキーの「サンタ・サングレ」の残虐な映像に気を失いそうになったが、途中で出ることもなく、最後まで見通した。ロールテロップが流れた刹那、「長い就職活動がやっと終わった」と安堵した。すでに10月になっていたと思う。当時はバブルど真ん中、「まぁ、なるようになるさ」。何につけても楽天的だった。あのときポリドールを選んでいたら、レコード業界に進んでいたら、と今も時々思う。

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ミュージックバードのことはいくらでも書けるが、本章ではレコードをめぐる話題に限定する。入社後、FMセンタービルの資料室でレコードが好きなだけ借りられたのは至福だった。在職した3年間でいったい何枚借りただろうか。会社のコピー機でライナーノートや歌詞カードをコピーし、大学ノートでリストを作った。ここで初めて知ったアーティストは数知れず。Andewella、Keef Hartley、Grin、James Gangなど。なかでもHeads, Hands & Feetは忘れられない。Albert Lee率いる70年にデビューした英国スワンプロック。最高だ。FMが開局した1970年前後にレコード会社の洋楽プロデューサーが売り込んだのだろう。資料室はとにかくすごい部屋で、ここで受付をして暮らしたいとさえ思った。

アパートは石神井公園にした(寮まで30分)。学生時代に買ったSONYの安いミニコンポを使っていたが、買ってすぐCDプレイヤー売り飛ばしたので依然としてCDはかけられなかった。さすがに91年ともなるとCDが基本フォーマットなので、最初にもらったボーナス(最初はFMと同じ3ヶ月だったが開局前ということですぐに1ヶ月に減らされた)が出てすぐに秋葉原の石丸電機に行き、PanasonicのMASHプレイヤーを買った。たまに買うCDをテープにダビングしていた。FMから借りたレコードのダビングも忙しかった。給料が出ると家電量販店でカセットテープを買い込んだ。学生時代に入り浸っていた国分寺の中古レコード屋へも足が遠のき、レコードを買うことはほとんどなくなった。

通勤が池袋乗り換えになり、WAVE(池袋西武向かい)や山野楽器(PARCO)で輸入CDを買うようになった。レコファンもあっただろうか。学生時代に数十枚だったCDコレクションが一気に500枚ほどに増えた。買い方は相変わらず「Rock Handbook」を参考文献にしていたが、山野楽器で「Rare Rock」というトンデモナイ本を見つけて、さらにロックの深い森の奥へ入っていった。洋書といってもほとんど私家版で、アルファベット順にアーティスト名がタイプライターで打たれたコピー製本のような簡素な作りだが、星の数でレア度を判定するユニークな本だった。

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「Maequee」「ストレンジデイズ」「クロスビート」「DIG」など和書文献も増え、ただただ珍しいだけ、という基準で安いCDを買っていた。今ある3000枚ほどのコレクションのうち、半分以上がこの買い方で手に入れたものだ。今も聴いているかといえば、まったく聴かない(笑)。山小屋に持ってきたところで誰も喜ばないだろう。このまま娘に相続するしかない。

さて平成篇は初頭(1990年代)のエピソードのみとなった。終わりまで書けないわけではないが結婚後のことを書いても面白くない。引っ越すたびにレコードを処分し、ミッシェル・ポルナレフのLPが30枚ほど、アメリカのジャズロックバンドSPIRITのLPが同じくらい、その他手放せないレコードを残して150枚ほどに落ち着いた。

今も時々買うが、大学生になった娘と一緒に聴くために、さらに言えば彼女の子供(俺の孫)に聴かせたいと思えるレコードだけを買うようにしている。レコードもCDも、俺の偏頗な趣味を引き継いでくれる人間がいるだけでもラッキーだ。


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これは今年の9月、自分への誕生日プレゼントに買ったもの。Blodwyn Pig、Julie Driscol、John Mayall、The Alan Bown、Kokomo、Moby Grape、Muleslinner、The Electric Flag、Maria Maulder。僕はいまここにいる。山小屋がこれからどうなるか皆目わからないが、いつか「アナログレコードのこと~令和篇~」を書きたくなったら、また。