港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

【終日休業①8/20〜9/12について】

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8月20日にまん延防止等重点措置が発令、さらに27日に緊急事態宣言となり時短要請。全面降伏。休業するしかない。20時まで時短営業も選べたがそのために石巻に帰り店を開けるべきでないという判断。行政とともに「飲みに出歩かないで」と訴える次第。昼間のカフェタイムも同様。

非常時に開けなきゃいけないほど山小屋は必要とされていない。自虐でなく真面目な話。休業でほかにすることがないなら店にいてDVDでも観てればいいがそうでもないのである。

会社のほうも、オリンピックとの兼ね合いで社員の在宅勤務を増やした。週3日の在宅。俺は1日のみ在宅であとは全出勤。いない社員のぶんまで仕事してる。電話番もあり昼休みもない。毎日弁当。インスタでは週末のことしか書かないが月〜木の働きぶりはかなりのものだ。3月から半年も休みなしでよくやったと思う。

うちの会社は、おそらくコロナ終息後も週一在宅だろう。いわゆる働き方改革ってやつだ。何時間も満員電車に揺られて毎日通勤しなくても週一自宅でPCで仕事をすれば、とりあえずはわが部の業務は推進可能なことが証明された。週5出勤してやってた業務を週4に凝縮。残業もしない。やればできる。売上もステイホーム需要で右肩上がり。コロナバブル様様。いや、あの時代のバブルとはワケが違う。商品が確実に売れてるんだもの。そのうち中古市場に大量に出回って在庫がダブつくとしても数年後の話。利益は蓄えに回して次なる災害不況に備えるしかない。

うちの売上増はバブルとは思わないが、飲食店に支払われる協力金は明らかにバブルだ。だって実態がないのだから。俺ら呑み助が店に払うはずだった金をお上(カミ)が肩代わりしてくれている。客の財布から店の金庫に移動していた金の流れを断ち切り、別の原資(税金)から飲食店経営者の金庫に直接入っているのが協力金だ。この補填=逆ザヤはいつ、誰が、どうやってするのか? 飲食店は所得として税金を払うので半分は国庫に戻されるとしても、このツケは国民全員が払わされるに違いない。膨大なワクチン接種コストもろともね。

東日本大震災の時には復興税として、全国民が0.21%の所得税増税を受容したが、「コロナ復興税」はどうなるだろう。震災復興より説得力はありそうだ。

もう少し書くと、働かないでも収入が保証されるというのもバブルにならないだろうか。バーやスナックが呑み助どもを囲い込んで酒やカラオケに興じさせ、その労働対価が売上となる。その労働自体が空洞化している。もっと言えば呑み助の遊びそのものも空洞化している。店側では収入が補填され完結しているが客側ではどうか。遊べないフラストレーションは補填されることなく貯蓄や、普段使わない商品の購買(うちのこと)に回されている。

そこで蔑ろにされているのが酒屋、氷屋、おしぼり屋、そしてアルバイトの子たちだろう。協力金という金の循環の恩恵に与れない。

考えたのはここまで。この先はよくわからない。山小屋で言えば、開店準備や週末の交通費などの投資がこれで半分くらいは回収できるわけだが、本来的にはそういう意味の金じゃない。今後来るはずだった客が支払うはずだった金だ。その意味では申し訳ない気持ちだ。コロナがなくても客なんて来なかったかもしれないのに、「来る計算」をしてくれたのだから。

 

ということで、けっして協力金で儲かるわけではないのだが、金の循環という意味ではかなり矛盾している。そこはごめんなさい、だ。こんな時期に店を始めたことが、社会に余計な負荷を与えてしまった。なんとか別の形で貢献したいところだが、それは今後考えていこう。