港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

山小屋は仕事か趣味か〜後篇〜

前回記事のリンクを個人インスタに上げたところ、フォロワー友人からコメントが入った。一読してドキリとした。

「店は趣味だったの? 石巻への想いそのものではなかったの? 親と暮らした故郷への想いが強いから店を始めたのだと思っていました。利益とか趣味とか、違うような気がします」

恥ずかしくてたまらなくなった。他人から指摘されずともそうであったはずが、いつのまにかコロナ禍で翻弄されるバー店主に成り下がり、時短や税金の心配をグダグダ公言していたのだから呆れてしまう。

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むろん、低迷する石巻の繁華街で、しかもコロナ禍中での開業は予想を遥かに超える厳しさで、個人インスタはいつしか裏アカ的に愚痴のオンパレードになってしまった。それを聞かされる友人はたまらないだろう。それでもこうしてコメントで軌道修正を促してくれるのは、本当にありがたい。

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10年なんだよね、あれから。友人の言う「石巻への想い」ってやつが、自分のなかで扱いが難しくなっている。この10年、何も変わっていない。しっかり冷凍保存。店をやりながらゆっくり自然解凍させるつもりだった。一人でなく客と一緒にね。

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だがその客がいない。さらに感染拡大防止で店をやるなと言う。どっちにしろ一人。出費ばかりでこの先どうなるのかと不安に思いはじめたところに協力金の話が出た。勢いで国税庁に電話して、前回のような話になった。裡に秘めておけばよいものを表沙汰にするから誤解が生まれる。いや、誤解じゃないね。結局、金のことばかり心配してやがる。

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これは甘えだが、何となく、俺が石巻でバーをやる理由など言わなくてもわかるでしょ?という気持ちが強い。だがたとえば、石巻に来たことがない人で、俺の身に何が起きたか理性的に理解できても、津波が去ったあと本当に何もなくなった南浜町に茫然と立ち尽くしたあの日から10年通い続けた想いの実相など、誰一人知りようがない。血を分けた兄弟でさえ、だ。実を言えば本人もよくわかっていない(笑)。うまく説明できない。できるわけがない。

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なので「なんで東京から通ってバーなんかやってるの?」と訊かれたら、その人向けに理解してもらえそうな理由をアレンジして答えるしかない。あまり問答を繰り返したくない。一発で「なるほどね」となる理由がいい。

「コロナで同期会ができないので集まれる場所を作りたかった」

「震災から10年が経ったので郷里への向き合い方を変えたかった」

「定年が近づいたのでセカンドライフへの足場作り」

「子供が大学に入ったら家事もPTAもなくなり無茶苦茶ヒマになった」

「膝を壊してテニスなどのスポーツ全部辞めたら週末ヒマになった」

石巻で一人飲むためだけにアパート借りて帰るのはもったいない」

「料理を作るのが好きだけど家族で食べる機会がなくなってつまらない」

「南浜町が公園になり慰霊碑もでき『復興を見守る』という帰省の理由が消滅した」

思いつく限り挙げて、こんなところか。これらをカクテルにして答えている。

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「仕事か趣味か」なんて二者選択自体が無理なのだ。国税庁的にはどっちかに決めてほしいんだろうが、石巻でバーをやる意味など理解できるわけもなければ、やつらは知ったこっちゃない。やるからにはちゃんと税金を納めなさい、それだけのことだ。

 

本当に、俺はなんで店なんかやってるんだろう?