港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

ウクライナ料理店とのコラボ開始

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石巻在住のウクライナ人男性と日本人女性パートナーによるテイクアウト専門店「Borsch(ボルシチ)」が、8月27日から山小屋店舗で営業を開始した。いわゆる“間借り”である。

今年3月にロシア・プーチンとの戦争が始まり、母国ウクライナから母と祖母を呼び寄せた二人は時の人となり、地元ニュースや新聞メディアに登場した。ロシアによる爆撃で破壊されたウクライナ(チェルニヒウ)の街が、震災で壊滅した門脇・南浜と対比され、「石巻で戦争を考える」という思潮が思いがけず醸成された。対岸の火事と思いがちな海外の戦争を我が事として深く知りたくて、何らか接点を持ちたいと考えていたら、知り合いの不動産会社から間借りを打診してきた。家族を支援をしている石巻に恩返しをしたいと、ウクライナ料理店を出店したいという。一も二もなく承諾した(もちろんオーナーにも断りを入れた)。

二人とは初回会った時から打ち解け、親しくなった。二人は元々タイ式マッサージのプロで、石巻で店をやっており、とにかく人当たりがよいのだ。ちょうど来店していた小学校同級生たちも異文化交流を楽しんでくれた。雑誌「石巻学」主宰者の大島幹雄さん(ロシア語が堪能)もたまたま来店してその日は賑やかな夜となった。

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震災後の石巻は、復興支援やボランティア人材が流入し、他力に頼らざるを得ない状況が長く続いたので、地方都市にありがちな外部の人間への拒否感が薄い町になった。外国人も同様で、とにかく受け入れが暖かい。ウクライナの戦争勃発当初も避難民受け入れに積極的だった(イベント好きな市長さんのようだ)。

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そういう状況下で間借りの話だったので、こちらも「石巻人」としての人情を発揮したという次第だ。また店側の人間としても、こういう営業形態を石巻の人はどう受け止めるだろうと興味深かった。

まだ始めて1ヵ月しか経っておらず、水曜と土曜の週2回営業のうち半分も立ち会っていないのでまだよく見えていないが、まずは成功しているという印象だ。開店当初はご祝儀もあるだろう。ボルシチやヴァレニキ(餃子)などウクライナ料理も、長く親しんでくれるかどうか。そもそも、いつまでこの営業を続けるのかーー。

ウクライナから呼び寄せた家族が祖国に帰れる日はやって来るのだろうか? 戦争は今も続いている。仮に明日終わったとしても復興の道のりは果てしなく遠い。このまま石巻に定住するのが得策かもしれない(当人が決めることだが)。

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未来がどうなるか、誰にもわからない。山小屋だっていつまでやれるだろう? そんなデラシネ同士が肩寄せ合って、場末の横丁で小さな店をやるのも悪くない。震災後の復興途半ばの石巻と、戦後復興の端緒にも就けていないウクライナとの共同作業、どうか温かく見守ってほしい。