港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

6/12(土) みやぎ県民防災の日

宮城県民にとって「あの地震」と言えばもちろん東日本大震災をさすのだが、それ以前は1978年の宮城県沖地震をさしていた。僕は小学校6年生。夕方5時頃、同級生数人と遠く(柳の目)のバッティングセンターにいたらグラグラと地面が揺れ、プレハブのゲームがバタバタと倒れた。よく覚えていないが、慌ててみんなで門脇まで自転車を飛ばして帰ったと思う。

家に着いたら断水していた。次の日がプール掃除の日で、それに持っていくタワシがないと母親に言ったら「こんな地震があってプール掃除なんかやるわけないでしょ!」と怒鳴られた。母親なりにイライラしていたのかもしれない。小学校に給水車が来て何度か水汲みに行ったのを覚えている。仙台のほうではブロック塀が倒れて何人か下敷きで亡くなった。手抜き工事(鉄筋なし)が話題になった。わが家のブロック塀は倒れなかったが数年後の工事で門柱を倒したら案の定、鉄筋が入っていなかった。昔はそんなものだったのだろう。

3.11以後も6.12はみやぎ県民防災の日となっている。わが山小屋も一度客を迎えたらその命を守る必要がある。だがこの建物は大丈夫だろうか? 地震が来たら客と一緒に安全な場所に逃げるしかない。

昼は三組。小学校同級生がみごとな玉ねぎとニンニクを持ってきてくれた。家庭菜園で作ったらすごいことになったらしい。

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彼とは去年の夏に46年ぶりに再会を果たした。小学校1・2年で同級でむちゃくちゃ仲がよかった。3年生の時に転校してそれっきり。Facebookで繋がったのが数年前。去年ようやく会えた。俺が店をやると伝えたら「必ず行くよ」と言い、早々に約束を果たしてくれた。こういうのがうれしい。懐かしい再会はこれさらまだまだあるに違いない。

夜もふた組。夜はAさんが連日のご来店。フキを甘辛く煮たのを持ってきてくれた。来ていた高校同級生Mにも出した。ここは因縁の間柄で、呉越同舟と言えなくもないが、山小屋ではその関係性も薄れるのか3人で談笑して楽しい夜だった。門脇の人、もっと来てくれたらいいのにな。

21時頃に二人とも帰り、閉店の0時まで一人でDVDを観ていた。店を閉めて帰ろうかと思ったが2階はっぴいえんどに寄ってみた。ところが眠くて仕方がない。ママの話もウワの空。昔は2時3時まで平気で飲んでいたが、やはり疲れてるのかな。客と店とで立場も気分も違いすぎる。客がいい。客になりたい。今日はこれで帰るが、次はもっと長居してやる!