港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京在住(石巻出身)オーナーYがゆるーく情報発信しています。

アナログレコードのこと〜昭和篇〜

休業していると書くことが限られるので話題を拡げてみる。

今回、2台のターンテーブルを店に持ち込んだ。OTTOとPIONEER。もちろん2台もいらない。PIONEERはお客さんにあげる予定。レコードはあるがかけるオーディオがないと言うので。そういえば引っ越し終わったのかな?

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開店時から使っていたTRIOはアームレストが折れたので修理のため東京に持ち帰る。家にあと5〜6台あるがほとんどジャンク品なのでヤフオクで売却して整理する予定。

アナログレコードは店に20枚ほど置いてあるが常にかけたいわけではない。上のハッピーエンドから流れてきた客がレコードを持ってきてかけてくれと言うことがあるのでバックアップ的な。それでも好事家に「へーこんなの」と言われるようなものでまとめた。家には200枚くらいか。最盛期からずいぶん減った(転居のたびに売却してきた)。

再びアナログレコードを買い始めたのは2年ほど前か。もちろんハッピーエンドの影響だが、いまこの時期に買ってみると自分の趣味、主義、志向、信念がほの見えて面白い。CDで買い直したレコードは処分してきたこの30年だったが今後は逆になりそう。レコードを見つけたら買い直す。
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初めて買ったLPはサイモン&ガーファンクルだった。81年だったと思う。NYセントラルパークでの再結成コンサートがテレビで放映され、とてもよかったので橋通りの小畑レコードに行き再結成記念盤を買った。「若き緑の日々」というタイトルで、今ならそんな編集盤は買わないのだが、石巻の演歌専門レコード店でS&Gが買えただけでもラッキーだった。

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その数ヶ月後にもう一枚。キング・クリムゾン「宮殿」。落差がものすごいがこれが当時の高校生のブレ方だ。よく小畑にあったな(笑)。ツェッペリン最後のアルバム「CODA」ポスターをもらったっけ。ちなみにこの2枚は手元にない。浪人の時に親友Fの高校時代の彼女が秋田から来て仙台でデートをするというのに金がないというので資金提供するべく駅前の貸しレコード屋に持っていったところ2枚で700円と言われ愕然としたが、引き上げるわけでもなくそのまま小銭を手にして、駅前サンディーヌでハンバーガーセットを二つ買い(ちょうど700円)、さてどうするかと作戦を練り直したというオチ。若いって素晴らしくてアホらしい。

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石巻で買ったのはその2枚のみ。85年の浪人中は仙台の代ゼミに通ったおかげで中古レコード屋によく行った。でもあまり買わなかった。一番町のOKストアのビルにタワーレコードがあり、初めて輸入盤を見た。ツェッペリンのIVを買った。これはまだ持っている。

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門脇3丁目の家は、小学校に入る前に建てた。母方の土地だった。親父は玄関の横に応接間をこしらえた。教員だったので来客が多かったのだ。ソファーにシャンデリア、百科事典に美術全集、そしてステレオが鎮座していた。三菱DIATONE製。初めて聴いたレコードはピンポンパン体操だったと思う。石毛恭子おねえさんがジャケットを飾っていた。

プレイヤーに触るようになったのは小学校高学年あたりから。兄貴のポルナレフをこっそりかけていた。応接間にあった「魅惑のポップス」なんてレコードも。特に映画音楽が好きだった。オリジナルサウンドトラックではなくフィルムスタジオオーケストラによるカバー集。「ゴッドファーザー」「華麗なる賭け」のテーマが大好きだった。

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FM放送も聴きはじめ、NHKの「サウンドストリート」や「クロスオーバーイレブン」がお気に入りだった。83年のFM仙台(現Date FM)開局はこれで聴いたと思う。「サントリーサウンドマーケット」や「日立ザ・ミュージック」などは洋楽音源の宝庫で、エアチェック(録音)できるステレオがほしくなった。

84年、親父に新たなステレオ購入を迫った。自宅でテープダビングできないので十條製紙社宅に住む友人S宅ステレオでいつも録音させてもらうのが心苦しかった。S家のステレオはPIONEERだった。当時、各メーカーは競うようにアイドルをフィーチャーしてはフルサイズコンポ(レコードプレイヤー、プリメインアンプ、チューナー、カセットデッキ、スピーカーのセット)を10〜20万円で売っていた。これがうちにもあったらなぁと指をくわえていた。

頭を何度も下げ、親父は「買うのいいが安いやつにしろ。教え子が働いているから庄子デンキで買え」と言うので毎週のように通って研究した。新聞チラシも穴があくほど見てSANSUIのコンポを選んだ。SANSUIのイメージガールは早見優だった。本当はPIONEERやTRIOにしたかった。スピーカーもウーファーが20cm程度でサランネットが外せないショボいやつだったが、テープダビングができて、FMのエアチェックができれば何でもよかった。

設置される日は高校をズル休みして立ち会った。アンプやチューナーのセレクターが透明なプラスチック製のボタンで電源が入ると青白く光るというもので見るからに軽薄。この時代からオーディオはカッコ悪くなった。ミニサイズコンポが主流になりレコードプレイヤーもオプションになった。応接間やリビングで聴くのではなく、各部屋に置かれパーソナルになった。レコードがCDサイズになり、ステレオも小さくなっていった。買ったのはフルサイズコンポの最後の世代だったように思う。


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SANSUIはオーディオ総合メーカーだったがカセットデッキが不得意だった。当時のコンポはカセットデッキが別売扱いだったのでキャンセルしてAIWAの3ヘッドオートリバースを買った。この頃から裏技が好きだった(笑)。3年で部活もないので学校が終わると貸しレコ屋に直行してレコードを借りダビング三昧。エアチェック用に番組表がほしくてFM雑誌も毎週買った。来日アーティストのインタビューやオーディオ情報も楽しかった。小遣いはカセットテープとFM雑誌代に消えた。Queen、Yes、King CrimsonDeep Purple、Kiss、Uriah Heepをよく聴いていた。

一浪して東京の大学に入学し男子寮に入ることになったがステレオは持っていけなかった。ラジカセ1台とふとんだけで上京。相部屋の先輩がステレオを持っていたので東京でのレコード生活がスタートした。仕送りとバイトで週に1枚ペースで買うことを自らに課した(1枚1000円で試算)。宣言どおり4年で500枚買った。寮生活が楽しすぎて大学に5年もいてしまった。中央線界隈は中古レコード天国だった。

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CDが世に出たのは83年頃だがソフトが買いやすくなったのは88年頃だったと思う。最初の一枚は中古のプロコルハルム「青い影」。そのほか、同時付き合っていた彼女から「サウンド・オブ・ミュージック」サントラ盤をプレゼントされたり、所沢のバンダでミッシェル・ポルナレフの新作「Kama Sutra」を買ったりしたが、コレクションするほどでもなく相変わらず中古レコード屋に入り浸っていた。


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89年、ヒロヒト天皇崩御して昭和の時代が終わった。最終学年になっていたが卒論のテーマ提出期限に間に合わず留年が決まり、就職活動もできないまま塾講師や家庭教師のバイトに明け暮れた。出版や新聞の仕事がしたくて東京の大学に入ったはずが、昭和末期から平成初頭にかけてのバブル好景気に俺ら学生も浮かれ跳んだ。周りはみんな証券や不動産、銀行システムなどに内定を決めていた。さすがにそうは思わなかったが「好きなことで仕事ができる」などと根拠のない確信が頭をもたげていた。本当に好きなものは何か?と自分に問うたときに、本や言葉だとは答えられず、「ロックに生きる」などとバカなことを考えていた。根っからのアナログ人間のはずがデジタルの電磁波に冒されていた。

やっぱり長くなった。ひとまずここで切る。