港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

5/14(金) まん防明け最初の週末は

惨敗。来店は一組。

ガツンと客足が戻るという予想もチラホラ聞こえたが、蓋を開けてみたらこちらが思う以上に冷え切っていた。ここ2日間、石巻の感染者はゼロだったと誰かがうれしそうに話していた。それと連動しているのかどうかはわからないが、まだまだ緊張感に包まれていることは確か。GW中に知り合いがひととおり来てくれたが、リピートまでは先が長そうだ。

とはいえリピートしてくれた友人親子との語らいが救いだった。平日やってくれるスタッフも見つからないまま(仮に見つかったとしても平日開けて客が来るかどうか)、週末に一人で営業する心細さを和らげてくれて余りある。

何よりも二人と話しながら、山小屋の運営方針、方向性を見出すアイデアがあれこれ出てくるのが楽しい。

実は奥の壁のレコードを取っ払った。棚ごと。レコードプレイヤーも撤去する。自分のやりたいことと微妙に違うことに気づいたから。俺はロックバーをやりたかったわけじゃない。家がなくなり、町がなくなり、母校の小学校と中学校が相次いで閉校し、自分が何者であるかが不明になった。もっと言えば、俺はこの石巻で本当に生まれ育ったのか、それさえ覚束ない。

震災後、帰省するたびに会っていた仲間も復興後の日常に戻り、ふるさとで孤独を感じていた。スナックやバーで酔いつぶれて誰もいないアパートに帰る日々。やるせなかった。何のために石巻に帰っているのかわからなくなった。俺が店をやる理由なんて誰も知らないし、わかるはずもない。俺自身もよくわかっていない。

「山小屋」は誰かのために作った店じゃない。俺の居場所を作っただけだ。コンセプトなんてどうでもいい。酒と音楽と椅子とテーブルとWi-Fiがあれば事足りる。でもそれでは客が集まらないから、何かを売りにしようと考えた。ひとまず「焼酎」でやってみた。音楽も旧いロックの知識なら誰にも負けないが、あまり追求すると2階の店とぶつかるので取り下げることにした。音楽なんて何かテキトーにかかってればよい。いまはノートPCでハイレゾ音源を再生している(ジャンクオーディオで)。山小屋という名前、コンセプトもこだわりはない。そもそも俺は山に登らない。兄貴が登山好きなので将来的に二人でやれたらと思っただけだ。

今回、東京から絵を何枚か持ってきた。レコード棚の代わりに絵を飾ることにしたのだ。


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当座しのぎだが、これはこれで俺の店らしいのかもしれない。そしてこの壁を自由に使ってくれる人が現れたら面白い。山小屋のレイアウトは、使い勝手がよさそうだ。壁が長いし、奥のスペースを独立させて使える。ライブや芝居もやれるかもしれない。

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鈍い想像力をフル回転させて、この店に人が集うイメージをあれこれ模索したい。俺がそこにいなくてもよい。平日や週末、ここで面白いことをやってくれる人間がいたらいつでもそいつに店を委ねたい。俺はその踏み台になる。

何かいいアイデアがあれば教えてください。よろしくお願いします。

yamagoya986@gmail.com