港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

【石巻一箱古本市に出店します】

f:id:bar_yamagoya:20211005194635j:image

来週土曜10月2日は石巻一箱古本市。お気に入りの本を箱詰めした本好きが県内外から集まり街なかが古本市と化すイベントで、今年で10年目となります。
山小屋店主も過去2回、参加させていただきました。今年は特例的に山小屋前で出店させていただけることになりました。Ishinomaki2.0さん、ありがとうございました。
当日は店頭でコーヒーやソフトドリンクを販売いたします。メイン会場は旧観慶丸商店や松川横丁なのでそちらにも足をお運びください。常連さんも初出店されるそうで仲間が増えて楽しみです。
古本市の詳細は、石巻まちの本棚HPにて。
http://bookishinomaki.com/event/

アナログレコードのこと〜昭和篇〜

休業していると書くことが限られるので話題を拡げてみる。

今回、2台のターンテーブルを店に持ち込んだ。OTTOとPIONEER。もちろん2台もいらない。PIONEERはお客さんにあげる予定。レコードはあるがかけるオーディオがないと言うので。そういえば引っ越し終わったのかな?

f:id:bar_yamagoya:20210922081343j:image

開店時から使っていたTRIOはアームレストが折れたので修理のため東京に持ち帰る。家にあと5〜6台あるがほとんどジャンク品なのでヤフオクで売却して整理する予定。

アナログレコードは店に20枚ほど置いてあるが常にかけたいわけではない。上のハッピーエンドから流れてきた客がレコードを持ってきてかけてくれと言うことがあるのでバックアップ的な。それでも好事家に「へーこんなの」と言われるようなものでまとめた。家には200枚くらいか。最盛期からずいぶん減った(転居のたびに売却してきた)。

再びアナログレコードを買い始めたのは2年ほど前か。もちろんハッピーエンドの影響だが、いまこの時期に買ってみると自分の趣味、主義、志向、信念がほの見えて面白い。CDで買い直したレコードは処分してきたこの30年だったが今後は逆になりそう。レコードを見つけたら買い直す。
f:id:bar_yamagoya:20210922081348j:image

初めて買ったLPはサイモン&ガーファンクルだった。81年だったと思う。NYセントラルパークでの再結成コンサートがテレビで放映され、とてもよかったので橋通りの小畑レコードに行き再結成記念盤を買った。「若き緑の日々」というタイトルで、今ならそんな編集盤は買わないのだが、石巻の演歌専門レコード店でS&Gが買えただけでもラッキーだった。

f:id:bar_yamagoya:20210922092346j:image

その数ヶ月後にもう一枚。キング・クリムゾン「宮殿」。落差がものすごいがこれが当時の高校生のブレ方だ。よく小畑にあったな(笑)。ツェッペリン最後のアルバム「CODA」ポスターをもらったっけ。ちなみにこの2枚は手元にない。浪人の時に親友Fの高校時代の彼女が秋田から来て仙台でデートをするというのに金がないというので資金提供するべく駅前の貸しレコード屋に持っていったところ2枚で700円と言われ愕然としたが、引き上げるわけでもなくそのまま小銭を手にして、駅前サンフィールドでハンバーガーセットを二つ買い(ちょうど700円)、さてどうするかと作戦を練り直したというオチ。若いって素晴らしくてアホらしい。

f:id:bar_yamagoya:20210922092353j:image

石巻で買ったのはその2枚のみ。85年の浪人中は仙台の代ゼミに通ったおかげで中古レコード屋によく行った。でもあまり買わなかった。一番町のOKストアのビルにタワーレコードがあり、初めて輸入盤を見た。ツェッペリンのIVを買った。これはまだ持っている。

f:id:bar_yamagoya:20210922092440j:image

門脇3丁目の家は、小学校に入る前に建てた。母方の土地だった。親父は玄関の横に応接間をこしらえた。教員だったので来客が多かったのだ。ソファーにシャンデリア、百科事典に美術全集、そしてステレオが鎮座していた。三菱DIATONE製。初めて聴いたレコードはピンポンパン体操だったと思う。石毛恭子おねえさんがジャケットを飾っていた。

プレイヤーに触るようになったのは小学校高学年あたりから。兄貴のポルナレフをこっそりかけていた。応接間にあった「魅惑のポップス」なんてレコードも。特に映画音楽が好きだった。オリジナルサウンドトラックではなくフィルムスタジオオーケストラによるカバー集。「ゴッドファーザー」「華麗なる賭け」のテーマが大好きだった。

f:id:bar_yamagoya:20210922101634j:image

FM放送も聴きはじめ、NHKの「サウンドストリート」や「クロスオーバーイレブン」がお気に入りだった。83年のFM仙台(現Date FM)開局はこれで聴いたと思う。「サントリーサウンドマーケット」や「日立ザ・ミュージック」などは洋楽音源の宝庫で、エアチェック(録音)できるステレオがほしくなった。

84年、親父に新たなステレオ購入を迫った。自宅でテープダビングできないので十條製紙社宅に住む友人S宅ステレオでいつも録音させてもらうのが心苦しかった。S家のステレオはPIONEERだった。当時、各メーカーは競うようにアイドルをフィーチャーしてはフルサイズコンポ(レコードプレイヤー、プリメインアンプ、チューナー、カセットデッキ、スピーカーのセット)を10〜20万円で売っていた。これがうちにもあったらなぁと指をくわえていた。

頭を何度も下げ、親父は「買うのいいが安いやつにしろ。教え子が働いているから庄子デンキで買え」と言うので毎週のように通って研究した。新聞チラシも穴があくほど見てSANSUIのコンポを選んだ。SANSUIのイメージガールは早見優だった。本当はPIONEERやTRIOにしたかった。スピーカーもウーファーが20cm程度でサランネットが外せないショボいやつだったが、テープダビングができて、FMのエアチェックができれば何でもよかった。

設置される日は高校をズル休みして立ち会った。アンプやチューナーのセレクターが透明なプラスチック製のボタンで電源が入ると青白く光るというもので見るからに軽薄。この時代からオーディオはカッコ悪くなった。ミニサイズコンポが主流になりレコードプレイヤーもオプションになった。応接間やリビングで聴くのではなく、各部屋に置かれパーソナルになった。レコードがCDサイズになり、ステレオも小さくなっていった。買ったのはフルサイズコンポの最後の世代だったように思う。


f:id:bar_yamagoya:20210925135826j:image

f:id:bar_yamagoya:20210925135819j:image

SANSUIはオーディオ総合メーカーだったがカセットデッキが不得意だった。当時のコンポはカセットデッキが別売扱いだったのでキャンセルしてAIWAの3ヘッドオートリバースを買った。この頃から裏技が好きだった(笑)。3年で部活もないので学校が終わると貸しレコ屋に直行してレコードを借りダビング三昧。エアチェック用に番組表がほしくてFM雑誌も毎週買った。来日アーティストのインタビューやオーディオ情報も楽しかった。小遣いはカセットテープとFM雑誌代に消えた。Queen、Yes、King CrimsonDeep Purple、Kiss、Uriah Heepをよく聴いていた。

一浪して東京の大学に入学し男子寮に入ることになったがステレオは持っていけなかった。ラジカセ1台とふとんだけで上京。相部屋の先輩がステレオを持っていたので東京でのレコード生活がスタートした。仕送りとバイトで週に1枚ペースで買うことを自らに課した(1枚1000円で試算)。宣言どおり4年で500枚買った。寮生活が楽しすぎて大学に5年もいてしまった。中央線界隈は中古レコード天国だった。

f:id:bar_yamagoya:20210925135251j:image

CDが世に出たのは83年頃だがソフトが買いやすくなったのは88年頃だったと思う。最初の一枚は中古のプロコルハルム「青い影」。そのほか、同時付き合っていた彼女から「サウンド・オブ・ミュージック」サントラ盤をプレゼントされたり、所沢のバンダでミッシェル・ポルナレフの新作「Kama Sutra」を買ったりしたが、コレクションするほどでもなく相変わらず中古レコード屋に入り浸っていた。


f:id:bar_yamagoya:20210925135451j:image

f:id:bar_yamagoya:20210925135511j:image

89年、ヒロヒト天皇崩御して昭和の時代が終わった。最終学年になっていたが卒論のテーマ提出期限に間に合わず留年が決まり、就職活動もできないまま塾講師や家庭教師のバイトに明け暮れた。出版や新聞の仕事がしたくて東京の大学に入ったはずが、昭和末期から平成初頭にかけてのバブル好景気に俺ら学生も浮かれ跳んだ。周りはみんな証券や不動産、銀行システムなどに内定を決めていた。さすがにそうは思わなかったが「好きなことで仕事ができる」などと根拠のない確信が頭をもたげていた。本当に好きなものは何か?と自分に問うたときに、本や言葉だとは答えられず、「ロックに生きる」などとバカなことを考えていた。根っからのアナログ人間のはずがデジタルの電磁波に冒されていた。

やっぱり長くなった。ひとまずここで切る。

【終日休業②9/13〜30について】

f:id:bar_yamagoya:20210917085550j:image

今日で宮城県内の緊急事態宣言が解除され、明日から30日までまん防に移行する。仙台市以外の飲食店は20時まで営業可(酒類提供は19時まで)となったが、金曜はほぼ不可能、土曜のカフェタイムのみではどうにもならないので、引き続き休業することに決めた。

また店にポスターを貼りに行かなきゃ。リモートワークの金曜、朝から車で出発。のんびり下道でと戸田から浦和に抜ける国道122号を走っていたら前の車が急ブレーキ。何だと思ったら大きな旗を持った警官が立ちはだかっている。やられた、一斉検問だ。警官が俺を指差して横道に入れとの指示。そんなに出ていたか?


f:id:bar_yamagoya:20210917084147j:image

f:id:bar_yamagoya:20210917084142j:image

60kmのところ77km出ていたという。周りに合わせてスムーズに走ってたんだがなぁ。先週免許更新したばかりなのにまた違反者講習になってしまった。

今年3月から月に何度も往復しているので捕まるリスクは当然ながら高い。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、と考えたほうがよいのかもしれない。青切符、減点1、反則金1万2千円。これって必要経費になるのかな?(笑)

夜11時半に石巻到着。金曜なのに誰一人歩いていない。ハッピーエンドもやってない。コンビニでビールを買いアパートで晩酌して寝た。

f:id:bar_yamagoya:20210917085023j:image

翌朝、店へ。2週間ぶりにシャッターを上げる。カビ臭い。ドアを開けて換気。PC電源を入れてiTunesでお気に入りライブラリをかけながらWordでポスター作り。文書はすべてiCloudに入っているから楽だ。

昼過ぎにガラガラと隣のシャッターが開く音。信ちゃんだ。表に出て少し話した。

「店は平日はやれないけど金曜と土曜は時短で。でも知らない人は入れない。レコード整理しながらのんびりやります」

信ちゃんにとってハッピーエンドは店というより自分の部屋。好きなレコードをかけに毎日でもいたいだろう。客が来れば酒を出すだけのこと。山小屋もそうありたい。でもハッピーエンドほどの売りがない。「山小屋に行けば〇〇ができる」がない。CDが置ければなぁ。東京の家に3000枚はある。持ってくりゃそれなりにインパクトあると思うが。

てなことをつらつら考えながらポスター印刷。前の日付の上から新しいポスターに差し替える。ハッピーのと、向かいのおり姫の分も作ってあげた。ひとまずこれで月末まで休業できる。


f:id:bar_yamagoya:20210917085611j:image

f:id:bar_yamagoya:20210917085556j:image

東京に戻ってもよいのだがやりたいことは山ほどある。まずはスピーカー入れ替え。東京から持ってきていたCORALをつないで無造作に転がしてあった。

f:id:bar_yamagoya:20210918114822j:image

前のLo-Dはすでに撤去済み(ヤフオクで500円出品中)。あれはチャチ過ぎた。ヤフオクで100円だったもんな。届いたらあまりの軽さに驚いた。キャビネットがボロボロで90年代コンポの安っぽさに呆れた。やはり80年代単品コンポでなければ。

スピーカーならCORALと決めており、高校時代に欲しかったX-IIIを物色していたが完動品は1万円近くする。スピーカーは送料が高いからヤフオクよりリサイクルショップがいい。


f:id:bar_yamagoya:20210918085940j:image

f:id:bar_yamagoya:20210918085931j:image

f:id:bar_yamagoya:20210918085935j:image

ハードオフを回るうちに綾瀬店でX-IIIの後継機DX-Three IIのコーン破れジャンク品を発見、何とかなるさと3000円で購入。2ヶ月後にヤフオクウーファーユニットを発見し7000円で落札、ユニット交換した。破れたユニットをヤフオク出品したら何と6000円で売れた。手間はともかく差し引き4000円で元気なCORALスピーカーが手元に残った。


f:id:bar_yamagoya:20210918090047j:image

f:id:bar_yamagoya:20210918090050j:image

f:id:bar_yamagoya:20210918090045j:image

1本12kgもある(Lo-Dは9kg)のを壁に固定するには台座を作る必要がある。久々の電動丸鋸登場。余っていたSPF角材を6分割、H字型に組んで棚受けをねじ止め。アンカーを打ち天井から麻紐で吊るす(そのうちワイヤーと交換)。落ちることはないだろう。


f:id:bar_yamagoya:20210918090135j:image

f:id:bar_yamagoya:20210918090131j:image

f:id:bar_yamagoya:20210918090137j:image

今まで使ってオーディオラックと、リサイクルショップで1000円で買ったキャビネットを入れ替えて収納力を高めた。扉を外してオープンにしてレコードや本を入れる。レコードプレイヤーも2台持ってきていた。PIONEERのPL-380AとOTTO TP-L3。ここにはOTTOを置く予定。PIONEERは家でレコードをかけたいという常連さんにあげる。

そんなこんなで夜も更け、腹がへったので冷凍していたお好み焼きを焼いて食べた。ガラガラと信ちゃんがシャッターを閉めた。俺も帰ろう。次回石巻に来るのは再来週だろうか。ワクチン2回目もあるし三連休は東京でおとなしくしていよう。

休業中の東京での過ごし方

(休みと金の話ばかりなので趣向を変えて)

半年ぶりに、石巻に帰らなくてよい週末が到来。新幹線や車で帰っていた金曜夜。さて何をやればよいのだろう?


f:id:bar_yamagoya:20210915151458j:image

f:id:bar_yamagoya:20210915151456j:image

f:id:bar_yamagoya:20210915151453j:image

ギターでもいじるか。2014年頃にジャンクギターにはまり、以来50本ほど買っては売りを繰り返してきた。店を始めてからギターどころではなかったが、何本か手付かずのジャンクギターが手元にある。

f:id:bar_yamagoya:20210915155610j:image

山小屋にもアコギを1本置いてある。仙台ハードオフでKOGAのミントコンディション(無傷)が2000円だった。古賀政男が関わったギターでおそらく全音製だろう。特別よいギターではないが山小屋風かなと思った。ただよく来る同級生たちは手軽に抱えられるエレキギターのほうがよさげなのでストラトを1本持って行こうと思っていた。

Jagardである。寺田楽器製というのが定評だが定かではない。ネックのプレートにMade in Japnとあるわけでもなし、ボディはプライ(合板)、ザグリ(木材に開けた穴)はガサツ、とても“ジャパンビンテージ”とは呼べない作り。アコギのJagardなら寺田楽器製でほぼ間違いないがストラトは違うだろう。倒産後にブランドが売られたんじゃないかな。店で酔っ払いが触るギターだし、かといってPhotogenicやLegendなどいかにも安いストラトじゃつまらないし、そこが俺の遊び心。


f:id:bar_yamagoya:20210914224010j:image

f:id:bar_yamagoya:20210914224017j:image

f:id:bar_yamagoya:20210914224014j:image

確かハードオフで1000円だった。埃まみれズタボロだったがそういうのこそ磨き甲斐がある。パーツストックを漁ったら同じJagardのネックとピックガードがあったので交換。ネック裏に色違いの木材が埋め込まれた「スカンク仕様」なところが憎い。

配線はすべてやり直した。ピックアップセレクターがどうしても合わない。ネジ穴のピッチが違うのでセレクター本体側に穴を開け強引に取り付けた。きついのかレバーが倒れず切り替えできないが鳴るのでまぁいいか。秋の夜長を、レコードを聴きながら無心に作業した。こういう時間、久しぶりだなぁ。


f:id:bar_yamagoya:20210914232833j:image

f:id:bar_yamagoya:20210914232829j:image

翌日はテニス。ソフトボール仲間のLINEに「テニスやろう」と書いたらちょうどキャンセル待ちでコートが取れたとの連絡。多摩川沿いの市営コートで汗を流した。膝の爆弾はほぼ鎮圧。2時間のプレー中も膝の痛みを気にすることがなかった。このまま不発で終わってくれるといいが。ラケットは去年ガットを張ったまま。テニスの頻度が上がったら張り替えよう。

コロナ前は、テニス(土曜90分)、ソフトボール(日曜120分)、ふらばーるバレー(火曜90分)をしていたが、借りていた体育館やグラウンドがコロナで使えなくなったりでポロポロとできなくなった。最後まで残ったテニスを膝痛で去年秋に辞めて、週末の時間のほとんどを店に注ぎ込んでいた。やればやはり楽しい。店は歳をとってからでもできるがスポーツは今しかできない。

ソフトは若いお父さんに世代交代でフェイドアウトだろう。テニスは60代以降もできそう。門脇に石巻ローンテニスクラブがあるので、そこに入会するのも手だ。土曜午後とか日曜午前とか。やるなら来年以降だろうな。まずは店を軌道に乗せなければ。

【終日休業①8/20〜9/12について】

f:id:bar_yamagoya:20210914093013j:image

8月20日にまん延防止等重点措置が発令、さらに27日に緊急事態宣言となり時短要請。全面降伏。休業するしかない。20時まで時短営業も選べたがそのために石巻に帰り店を開けるべきでないという判断。行政とともに「飲みに出歩かないで」と訴える次第。昼間のカフェタイムも同様。

非常時に開けなきゃいけないほど山小屋は必要とされていない。自虐でなく真面目な話。休業でほかにすることがないなら店にいてDVDでも観てればいいがそうでもないのである。

会社のほうも、オリンピックとの兼ね合いで社員の在宅勤務を増やした。週3日の在宅。俺は1日のみ在宅であとは全出勤。いない社員のぶんまで仕事してる。電話番もあり昼休みもない。毎日弁当。インスタでは週末のことしか書かないが月〜木の働きぶりはかなりのものだ。3月から半年も休みなしでよくやったと思う。

うちの会社は、おそらくコロナ終息後も週一在宅だろう。いわゆる働き方改革ってやつだ。何時間も満員電車に揺られて毎日通勤しなくても週一自宅でPCで仕事をすれば、とりあえずはわが部の業務は推進可能なことが証明された。週5出勤してやってた業務を週4に凝縮。残業もしない。やればできる。売上もステイホーム需要で右肩上がり。コロナバブル様様。いや、あの時代のバブルとはワケが違う。商品が確実に売れてるんだもの。そのうち中古市場に大量に出回って在庫がダブつくとしても数年後の話。利益は蓄えに回して次なる災害不況に備えるしかない。

うちの売上増はバブルとは思わないが、飲食店に支払われる協力金は明らかにバブルだ。だって実態がないのだから。俺ら呑み助が店に払うはずだった金をお上(カミ)が肩代わりしてくれている。客の財布から店の金庫に移動していた金の流れを断ち切り、別の原資(税金)から飲食店経営者の金庫に直接入っているのが協力金だ。この補填=逆ザヤはいつ、誰が、どうやってするのか? 飲食店は所得として税金を払うので半分は国庫に戻されるとしても、このツケは国民全員が払わされるに違いない。膨大なワクチン接種コストもろともね。

東日本大震災の時には復興税として、全国民が0.21%の所得税増税を受容したが、「コロナ復興税」はどうなるだろう。震災復興より説得力はありそうだ。

もう少し書くと、働かないでも収入が保証されるというのもバブルにならないだろうか。バーやスナックが呑み助どもを囲い込んで酒やカラオケに興じさせ、その労働対価が売上となる。その労働自体が空洞化している。もっと言えば呑み助の遊びそのものも空洞化している。店側では収入が補填され完結しているが客側ではどうか。遊べないフラストレーションは補填されることなく貯蓄や、普段使わない商品の購買(うちのこと)に回されている。

そこで蔑ろにされているのが酒屋、氷屋、おしぼり屋、そしてアルバイトの子たちだろう。協力金という金の循環の恩恵に与れない。

考えたのはここまで。この先はよくわからない。山小屋で言えば、開店準備や週末の交通費などの投資がこれで半分くらいは回収できるわけだが、本来的にはそういう意味の金じゃない。今後来るはずだった客が支払うはずだった金だ。その意味では申し訳ない気持ちだ。コロナがなくても客なんて来なかったかもしれないのに、「来る計算」をしてくれたのだから。

 

ということで、けっして協力金で儲かるわけではないのだが、金の循環という意味ではかなり矛盾している。そこはごめんなさい、だ。こんな時期に店を始めたことが、社会に余計な負荷を与えてしまった。なんとか別の形で貢献したいところだが、それは今後考えていこう。

山小屋は仕事か趣味か〜後篇〜

前回記事のリンクを個人インスタに上げたところ、フォロワー友人からコメントが入った。一読してドキリとした。

「店は趣味だったの? 石巻への想いそのものではなかったの? 親と暮らした故郷への想いが強いから店を始めたのだと思っていました。利益とか趣味とか、違うような気がします」

恥ずかしくてたまらなくなった。他人から指摘されずともそうであったはずが、いつのまにかコロナ禍で翻弄されるバー店主に成り下がり、時短や税金の心配をグダグダ公言していたのだから呆れてしまう。

f:id:bar_yamagoya:20210901093331j:image

むろん、低迷する石巻の繁華街で、しかもコロナ禍中での開業は予想を遥かに超える厳しさで、個人インスタはいつしか裏アカ的に愚痴のオンパレードになってしまった。それを聞かされる友人はたまらないだろう。それでもこうしてコメントで軌道修正を促してくれるのは、本当にありがたい。

f:id:bar_yamagoya:20210901084831j:image

10年なんだよね、あれから。友人の言う「石巻への想い」ってやつが、自分のなかで扱いが難しくなっている。この10年、何も変わっていない。しっかり冷凍保存。店をやりながらゆっくり自然解凍させるつもりだった。一人でなく客と一緒にね。

f:id:bar_yamagoya:20210901093446j:image

だがその客がいない。さらに感染拡大防止で店をやるなと言う。どっちにしろ一人。出費ばかりでこの先どうなるのかと不安に思いはじめたところに協力金の話が出た。勢いで国税庁に電話して、前回のような話になった。裡に秘めておけばよいものを表沙汰にするから誤解が生まれる。いや、誤解じゃないね。結局、金のことばかり心配してやがる。

f:id:bar_yamagoya:20210901085037j:image

これは甘えだが、何となく、俺が石巻でバーをやる理由など言わなくてもわかるでしょ?という気持ちが強い。だがたとえば、石巻に来たことがない人で、俺の身に何が起きたか理性的に理解できても、津波が去ったあと本当に何もなくなった南浜町に茫然と立ち尽くしたあの日から10年通い続けた想いの実相など、誰一人知りようがない。血を分けた兄弟でさえ、だ。実を言えば本人もよくわかっていない(笑)。うまく説明できない。できるわけがない。

f:id:bar_yamagoya:20210901093617j:image

なので「なんで東京から通ってバーなんかやってるの?」と訊かれたら、その人向けに理解してもらえそうな理由をアレンジして答えるしかない。あまり問答を繰り返したくない。一発で「なるほどね」となる理由がいい。

「コロナで同期会ができないので集まれる場所を作りたかった」

「震災から10年が経ったので郷里への向き合い方を変えたかった」

「定年が近づいたのでセカンドライフへの足場作り」

「子供が大学に入ったら家事もPTAもなくなり無茶苦茶ヒマになった」

「膝を壊してテニスなどのスポーツ全部辞めたら週末ヒマになった」

石巻で一人飲むためだけにアパート借りて帰るのはもったいない」

「料理を作るのが好きだけど家族で食べる機会がなくなってつまらない」

「南浜町が公園になり慰霊碑もでき『復興を見守る』という帰省の理由が消滅した」

思いつく限り挙げて、こんなところか。これらをカクテルにして答えている。

f:id:bar_yamagoya:20210901200826j:image

「仕事か趣味か」なんて二者選択自体が無理なのだ。国税庁的にはどっちかに決めてほしいんだろうが、石巻でバーをやる意味など理解できるわけもなければ、やつらは知ったこっちゃない。やるからにはちゃんと税金を納めなさい、それだけのことだ。

 

本当に、俺はなんで店なんかやってるんだろう?

山小屋は仕事か趣味か〜前篇〜

※ずっと日誌的に書いてきたが、8月18日に宮城県にまん延防止重点措置が適用され、仙台市を除く市町村の飲食店にも時短/休業要請が発令された。この機会に、店をやることの根本問題について、直近の日付で書き留めておきたい。その間の山小屋日誌は後日アップします。

f:id:bar_yamagoya:20210824193105j:image

オリンピック開幕直前に東京が緊急事態宣言(4回目)になり「不要不急の外出を控えろ」と言われるなかで、山小屋営業のために東京と石巻の往復をしている自分はどうなんだろう?と自問自答しながら移動していた。

開店当初は(今もそうだが)「(山小屋は)趣味です」と言うケースが多かった。赤字必至だからだ。家賃、光熱費、仕入れ、交通費で月10万円以上出ていくのに、週末だけの売上で回収できるはずがなく、「やっていけるの?」という周囲の心配に対し自虐的に「趣味」と返していた。

その気持ちは変わらないが、本当に趣味でしかないなら、店を開けることは「不要不急の用」となる。それでも帰りたいのなら、そこは「仕事です」と言い切らなければならない。「お客さんが待っているんです」と。店を開けても客が来なければ結果として「不要不急」となるが、石巻に帰る動機・理由づけとして「仕事」は外せない。外しちゃいけない。この数週間で、そう考えるに至った。

そこへ時短/休業要請が来た。営業は20時まで、酒類提供は19時まで。時短でやるか休業か。店の根幹に関わる。迷った挙句、終日休業とした。2、3時間、店を開けるために東京から石巻に帰るのは効率が悪すぎる。さすがに「仕事」にならない、と思ったのだ。

さらに別の問題が生じた。時短/休業にともなう協力金だ。前年実績がないので中小企業者の最低ライン(1日2.5万円)で申請することになるが、雑所得として課税されるため、売上と合算して税金を払わないといけない。

協力金をもらっても果たして利益が出るかどうか。それも気になるが、そもそも山小屋で得た所得は、本業の給与とどう区別すればよいのか? その場合、交通費は「経費」となるのか? そうした疑問を解決すべく国税庁相談センターに問い合わせてみた。

以下、専門家による見解の整理と備忘のために記録しておく。

国税庁相談員の話】:週末のバー営業のために東京から毎週宮城に帰ってるんですね。協力金の話は脇において、そもそも店の売上が「事業所得」か「雑所得」かを決める必要があります。それによって税金の納め方が違うんですよ。「店の営業が利益を生む事業内容かどうか」を考えましょう。まず従業員は使っていますか? あなた一人なんですね。家賃は当然、平日分も含まれますね。コロナで人を雇えず、平日に店を開けられない状況ですから、現状では「利益が出る」業態とは言えませんね。利益を出そうとするのでなく「赤字でも構わない」という飲食店経営は「事業」でなく「趣味」です。つまり、あなたのお店で生み出される所得は「雑所得」になります。

続いて税金のこと。あなたは給与所得者なので年末調整をして税金が確定するのですが、給与のほかに所得がある場合、事業所得ならば合算できますが、雑所得は合算できないため、確定申告をしていただく必要があります。今回の時短・休業要請で協力金がいくら出るのかわかりませんが、その全額を加味した収支計算で20万円以上の利益が出たら確定申告をしてください。20万円に満たなければ申告しなくてかまいません。寄付金や医療控除などの還付申請をする場合は別ですけどね。で、利益が出るかどうかで肝心な「経費」ですが、家賃はもちろん認められます。経費というのは利益を生み出すために使った費用なので本来なら週末分の家賃だけなのですが、家賃は月単位なので全額認められます。東京から宮城までの交通費ですが、あなたが店を開けなければ営業できないのでこれも認めるしかないですね。その他仕入れや光熱費なども当然経費となり、それらを収支計算して利益が20万円以上出れば納税義務が発生するわけです。ただこれは所得税に限った話なので住民税についてはお住まいの市民税課にお問い合わせください。

非常に明快だった。国民の義務である納税の考え方においても、仕事か趣味かという区分においても、じゅうぶん納得のいく回答だった。

国税庁から見たら山小屋の経営は「趣味」でしかない、ということだ。それは受け入れよう。しかし自分のなかに「これは仕事だ」という自負、確信のようなものがある。「飲み屋ごっこ」と言われればそれまでだが、被災地石巻に山小屋というスペースを作り、一部の関係者(小中高同級生や近隣住民など個人的知り合い、SNSで集まる同好の士たち)が集う場を提供することに、それなりの使命感をもって行動している。どこにでもある店をやってるつもりはない。

山小屋でしか会えない人がいて、山小屋でしか話せない話がある。山小屋でしか聴けない音楽、山小屋でしか飲めない酒を提供したい。山小屋を必要とする客がいるはずなのだ。いてほしい。その客、たとえ一人のためだろうと、片道450kmを何時間もかけて移動し、イオンで食材を買い、シャッターを開け、看板を灯し、音楽をかけ、グラスを磨き、客を待っている。しかも毎週な。これのどこが「趣味」なものか。

いいか国税庁よ、よーく聞け。いまは趣味の範疇かもしれないが、給付金や協力金がなくてもいつか利益を出して、たんまり税金を払ってやるからな。待ってろよ。