港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

10/1(金) 台風とともに北上

今日から時短営業要請解除。ながらく休んでいたが再び石巻へ“出勤”。イヤではないが、ワクワクというほどでもない。もう少し休みたかったな、というのが正直なところ。

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大型台風が本州に接近するとのことだったがかなり外れて、多少の雨風はあるが大したことはなかった。とはいえ客足は微小。そんか悪天候のなか、前にもぐもぐで飲んだ若い客がボーイフレンドを連れてきた。ともにインスタフォロワーさん。市内を食べ歩いてるようで山小屋もワンオブゼム。ストーリーでお通し(築地の厚焼き卵など)を紹介してくれた。

あとは誰も来ず。翌日の古本市準備にとりかかる。※1ヶ月後に書こうとしても忘れて何も書けない。鉄は熱いうちに打てよ。

 

【10月1日以降の営業について】

明日10月1日から宮城県全域の飲食店を対象とした時短営業要請と酒類提供制限が全て解除されます。山小屋も営業を再開いたします。
明日は仕事の関係で何時に石巻に着けるかわかりませんが20:30頃には開けたいと思っています。あいにく猛烈な台風16号が接近中です。無理な外出はお控えください。
それでは週末の皆様のお越しをお待ちしております。

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9/27(火) 版画贋作騒動に思う

4連休を石巻で過ごし26日に東京にバイクで戻った。22日夜に出発して那須泊、温泉ツーリングで福島を回って石巻入り。24〜25日はリボーンアートフェスティバルを回った。とてもよい作品があったのでいずれ詳しく書きたい。


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お盆明けからひと月半、客を入れずに店でガチャガチャ作業していたのでだいぶ散らかっていた。10月1日から宮城は時短要請解除になるのか現時点では不明だが、解除濃厚と踏んで店内を片づけ。なんとか客を入れても大丈夫な状態になったかな。製氷機もON。2〜3日後には満杯になっているだろう。


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店先にポスターを貼った。10月2日開催の石巻一箱古本市。今年で3回目の参加になる。山小屋の通りはメイン会場から離れるので別枠扱いになってしまったが、古本市のノボリも貸してくれるそうだし、こっちまで客足が伸びてくれればうれしい。台風が心配だがまぁのんびり。

東京に戻ったら東山魁夷平山郁夫の版画の贋作が出たというニュースでもちきりだった。ネットニュースだけでなく地上波ニュースでも特集を組んでいた。それほどニュースバリューあるのかと思ったら、贋作はデパートで売られたらしく、その流通経路や鑑定能力などが騒がれているらしい。デパートなら安心して買うわな。販売価格は100〜200万円ってところか。

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最初に思ったのは「版画の贋作? 複製を複製しただけだろ」ということ。原画写真から版を起こしリトグラフなどで100枚以上製作するラージ・エディションの版画(エスタンプ)をアートと認めたくない。画家が画商に複製を許可して印税をもらうシステムで、美術品というより出版物に近い。

俺もエスタンプに関わったことがある。今回、贋作が見つかった一人の平山郁夫先生(1930-2009)の絵だった。勤めていた出版社が画商(古物商)の資格を持っており平山さんに200部程度の版画製作を持ちかけた。作品は「アンコールワット遺跡 夕陽」だった。手順は手持ちの写真の分解から始まる。画家は自分で写真を管理していることが少なく、出版社や図録屋などに委託している。うちは団体展の誌面紹介をするので、平山さんが所属する日本美術院院展)や日展など大きな団体展は必ず撮影に行っていた。9月から11月にかけての団体展シーズンは忙しい。朝8時に上野の東京都美術館に入り、開館する10時までの2時間、2班の撮影隊に分かれて会場の作品を撮りまくる。ここで撮っておけば未来永劫、自分たちの写真が使える(もちろんその都度著作権者の許可をとる)。中型ブローニーで「4の5」と呼ばれる大きなポジフィルムだ。だいたいハガキサイズ。これなら大きなポスターにまで使える。

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アンコールワット遺跡 夕陽」は1999年の院展出品作。畳6枚分ってとこか。版画はせいぜい30号、オフィス机の天板程度だ。サイズが決まったら業者にフィルムを渡して分解・色校正をするのだが、校正には院展図録が役に立つ。製作時に画家や団体のチェックが入っている(この色味で間違いない、という公式印刷物)のでそれを目標に校正を進める。再校や三校を画家に見せてOKをもらえば校正は完了だ。

鎌倉二階堂にある平山邸に色校正を持参して見てもらい、その場でOKをもらった。画家は自ら岩絵具を溶いて、どういう色で画想を表現するか腐心するので、色については画家の眼がいちばん確かだ。平山さんは「いいんじゃないですか」と言ったと思う。この「いい」には「複製画にしては」というニュアンスが含まれている。版画の色彩表現(現場)に立ち会わず、他人が製作し販売する物を頒布前に了承するというのがビジネスのルーティンである。ぼくが「エスタンプ版画はアートではない」という根拠はこの一点に尽きる。画家が製作にほとんど関わっていないのだもの。複製品をデパートで数百万円で買う神経がわからない。まぁ自分のものとして買うのでなく、取引先のビル新築や銀座クラブの新装オープンなどに贈るんだろうけれど。

色校が終われば実際にプリント…いや、版画製作に移る。版画工房の見学をしたことはないが、いちおう手刷りなんだろうね。プレス機で一枚一枚刷り上げていく(と信じたい)。多色刷りでたとえば4色同時に刷れるとして、32版なら8回刷ればよい。版を合わせたり色ムラが出ないようにしたり、それなりに高い技術は必要だ。

版画ができたらサインだ。250枚超の版画を抱えて平山邸に運び入れる。広い和室に通され、座卓のうえに版画を積み上げ、先生が一枚一枚鉛筆で「郁夫」と書いていく。ぼくの仕事はその隣で受け取り、版画に落款(印)を捺す。先生からお預かりした落款に印泥をつけて慎重に捺していった。ほかにエディション番号(何枚中何番というシリアル番号)も必要だが、これはどうやって入れたか忘れた。先生は書き入れなかったように思う。版画工房ですでに入れてあったんじゃないかな。二人とも無言で小一時間の作業。連帯感や協働意識などない。ものすごくドライな作業だった。平山さんも、こんな恥ずかしい時間を持ちたくはなかっただろう。挨拶もそこそこに、逃げるように社に戻った。
ご印税は販売価格(上代という)×刷り部数×10%なので、仮に上代150万とすれば1部あたり15万円が画家に渡る。色校1回とサイン250回で3000万円超の収入。言っちゃ悪いが「濡れ手で粟」だ。もちろんうちも儲かる。こんな楽で儲かる仕事なら誰でもやりたいと思うだろう。だがそこは先生とうちとの信頼関係だ。多種のリトグラフの大量頒布が画家としての資質や評価を下げることを本人が心配していたかどうかはともかく、売れっ子画家は「ここなら任せられる」という版元にしか版画製作の許可は出さない。雑誌や年鑑本などで画家との信頼関係を長年築いているからこそ、こういうオイシイ話を持ち掛けられる。ポッと出の画商にはできない相談だ。

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だから贋作が出る。画家との直接契約ができないので、版画を買ってスキャニングして、似たような製法で「印刷」する。スキャニングやプリント技術が進んで素人目にはわからない。デパート店員もわからないだろう。仕入れ時にすでに額装してあり、ガラス越しに鉛筆のサインや落款の真贋を見抜けるのは専門家や遺族にしかできないだろう。額の裏面に「共(とも)シール」(鑑定者名、版元名)が貼られていれば、それを信じるしかない。あとはデパートとの信頼関係次第。こちらもポッと出の画商とは付き合わないはず。なぜ贋作ばかり扱う三流画商がデパートと取り引きできたのか?

繰り返すが、エスタンプはアートではない。画家もしくは遺族(著作権者)公認の複製画に過ぎない。そんなものに100万円以上の高値がつくので、おかしな話になっている。100万円あったら、もっとイキのいい画家の一点ものが何点も買えるのに、権威主義・拝金主義から高値保証の著名画家エスタンプに触手を伸ばす。贋作画商・贋作版画家はその空疎なビジネスの虚を突いたのだ。擁護はしないが、贋作を買わされた顧客には同情できない。複製をありがたがる人には、贋作を与えておけばじゅうぶんじゃないかとさえ思う。もっと言えば、贋作だろううが真作だろうが関係ない。そこ(エスタンプ)に画家の魂はあるのか? 100万円の価値はあるのか? 少なくとも平山さんのサインを書く姿を見ていて、画家のやる仕事とはとても思えなかった。

これ以上書くとコードに引っ掛かるのでこのくらいで。

【石巻一箱古本市に出店します】

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来週土曜10月2日は石巻一箱古本市。お気に入りの本を箱詰めした本好きが県内外から集まり街なかが古本市と化すイベントで、今年で10年目となります。
山小屋店主も過去2回、参加させていただきました。今年は特例的に山小屋前で出店させていただけることになりました。Ishinomaki2.0さん、ありがとうございました。
当日は店頭でコーヒーやソフトドリンクを販売いたします。メイン会場は旧観慶丸商店や松川横丁なのでそちらにも足をお運びください。常連さんも初出店されるそうで仲間が増えて楽しみです。
古本市の詳細は、石巻まちの本棚HPにて。
http://bookishinomaki.com/event/

アナログレコードのこと〜昭和篇〜

休業していると書くことが限られるので話題を拡げてみる。

今回、2台のターンテーブルを店に持ち込んだ。OTTOとPIONEER。もちろん2台もいらない。PIONEERはお客さんにあげる予定。レコードはあるがかけるオーディオがないと言うので。そういえば引っ越し終わったのかな?

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開店時から使っていたTRIOはアームレストが折れたので修理のため東京に持ち帰る。家にあと5〜6台あるがほとんどジャンク品なのでヤフオクで売却して整理する予定。

アナログレコードは店に20枚ほど置いてあるが常にかけたいわけではない。上のハッピーエンドから流れてきた客がレコードを持ってきてかけてくれと言うことがあるのでバックアップ的な。それでも好事家に「へーこんなの」と言われるようなものでまとめた。家には200枚くらいか。最盛期からずいぶん減った(転居のたびに売却してきた)。

再びアナログレコードを買い始めたのは2年ほど前か。もちろんハッピーエンドの影響だが、いまこの時期に買ってみると自分の趣味、主義、志向、信念がほの見えて面白い。CDで買い直したレコードは処分してきたこの30年だったが今後は逆になりそう。レコードを見つけたら買い直す。
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初めて買ったLPはサイモン&ガーファンクルだった。81年だったと思う。NYセントラルパークでの再結成コンサートがテレビで放映され、とてもよかったので橋通りの小畑レコードに行き再結成記念盤を買った。「若き緑の日々」というタイトルで、今ならそんな編集盤は買わないのだが、石巻の演歌専門レコード店でS&Gが買えただけでもラッキーだった。

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その数ヶ月後にもう一枚。キング・クリムゾン「宮殿」。落差がものすごいがこれが当時の高校生のブレ方だ。よく小畑にあったな(笑)。ツェッペリン最後のアルバム「CODA」ポスターをもらったっけ。ちなみにこの2枚は手元にない。浪人の時に親友Fの高校時代の彼女が秋田から来て仙台でデートをするというのに金がないというので資金提供するべく駅前の貸しレコード屋に持っていったところ2枚で700円と言われ愕然としたが、引き上げるわけでもなくそのまま小銭を手にして、駅前サンフィールドでハンバーガーセットを二つ買い(ちょうど700円)、さてどうするかと作戦を練り直したというオチ。若いって素晴らしくてアホらしい。

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石巻で買ったのはその2枚のみ。85年の浪人中は仙台の代ゼミに通ったおかげで中古レコード屋によく行った。でもあまり買わなかった。一番町のOKストアのビルにタワーレコードがあり、初めて輸入盤を見た。ツェッペリンのIVを買った。これはまだ持っている。

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門脇3丁目の家は、小学校に入る前に建てた。母方の土地だった。親父は玄関の横に応接間をこしらえた。教員だったので来客が多かったのだ。ソファーにシャンデリア、百科事典に美術全集、そしてステレオが鎮座していた。三菱DIATONE製。初めて聴いたレコードはピンポンパン体操だったと思う。石毛恭子おねえさんがジャケットを飾っていた。

プレイヤーに触るようになったのは小学校高学年あたりから。兄貴のポルナレフをこっそりかけていた。応接間にあった「魅惑のポップス」なんてレコードも。特に映画音楽が好きだった。オリジナルサウンドトラックではなくフィルムスタジオオーケストラによるカバー集。「ゴッドファーザー」「華麗なる賭け」のテーマが大好きだった。

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FM放送も聴きはじめ、NHKの「サウンドストリート」や「クロスオーバーイレブン」がお気に入りだった。83年のFM仙台(現Date FM)開局はこれで聴いたと思う。「サントリーサウンドマーケット」や「日立ザ・ミュージック」などは洋楽音源の宝庫で、エアチェック(録音)できるステレオがほしくなった。

84年、親父に新たなステレオ購入を迫った。自宅でテープダビングできないので十條製紙社宅に住む友人S宅ステレオでいつも録音させてもらうのが心苦しかった。S家のステレオはPIONEERだった。当時、各メーカーは競うようにアイドルをフィーチャーしてはフルサイズコンポ(レコードプレイヤー、プリメインアンプ、チューナー、カセットデッキ、スピーカーのセット)を10〜20万円で売っていた。これがうちにもあったらなぁと指をくわえていた。

頭を何度も下げ、親父は「買うのいいが安いやつにしろ。教え子が働いているから庄子デンキで買え」と言うので毎週のように通って研究した。新聞チラシも穴があくほど見てSANSUIのコンポを選んだ。SANSUIのイメージガールは早見優だった。本当はPIONEERやTRIOにしたかった。スピーカーもウーファーが20cm程度でサランネットが外せないショボいやつだったが、テープダビングができて、FMのエアチェックができれば何でもよかった。

設置される日は高校をズル休みして立ち会った。アンプやチューナーのセレクターが透明なプラスチック製のボタンで電源が入ると青白く光るというもので見るからに軽薄。この時代からオーディオはカッコ悪くなった。ミニサイズコンポが主流になりレコードプレイヤーもオプションになった。応接間やリビングで聴くのではなく、各部屋に置かれパーソナルになった。レコードがCDサイズになり、ステレオも小さくなっていった。買ったのはフルサイズコンポの最後の世代だったように思う。


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SANSUIはオーディオ総合メーカーだったがカセットデッキが不得意だった。当時のコンポはカセットデッキが別売扱いだったのでキャンセルしてAIWAの3ヘッドオートリバースを買った。この頃から裏技が好きだった(笑)。3年で部活もないので学校が終わると貸しレコ屋に直行してレコードを借りダビング三昧。エアチェック用に番組表がほしくてFM雑誌も毎週買った。来日アーティストのインタビューやオーディオ情報も楽しかった。小遣いはカセットテープとFM雑誌代に消えた。Queen、Yes、King CrimsonDeep Purple、Kiss、Uriah Heepをよく聴いていた。

一浪して東京の大学に入学し男子寮に入ることになったがステレオは持っていけなかった。ラジカセ1台とふとんだけで上京。相部屋の先輩がステレオを持っていたので東京でのレコード生活がスタートした。仕送りとバイトで週に1枚ペースで買うことを自らに課した(1枚1000円で試算)。宣言どおり4年で500枚買った。寮生活が楽しすぎて大学に5年もいてしまった。中央線界隈は中古レコード天国だった。

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CDが世に出たのは83年頃だがソフトが買いやすくなったのは88年頃だったと思う。最初の一枚は中古のプロコルハルム「青い影」。そのほか、同時付き合っていた彼女から「サウンド・オブ・ミュージック」サントラ盤をプレゼントされたり、所沢のバンダでミッシェル・ポルナレフの新作「Kama Sutra」を買ったりしたが、コレクションするほどでもなく相変わらず中古レコード屋に入り浸っていた。


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89年、ヒロヒト天皇崩御して昭和の時代が終わった。最終学年になっていたが卒論のテーマ提出期限に間に合わず留年が決まり、就職活動もできないまま塾講師や家庭教師のバイトに明け暮れた。出版や新聞の仕事がしたくて東京の大学に入ったはずが、昭和末期から平成初頭にかけてのバブル好景気に俺ら学生も浮かれ跳んだ。周りはみんな証券や不動産、銀行システムなどに内定を決めていた。さすがにそうは思わなかったが「好きなことで仕事ができる」などと根拠のない確信が頭をもたげていた。本当に好きなものは何か?と自分に問うたときに、本や言葉だとは答えられず、「ロックに生きる」などとバカなことを考えていた。根っからのアナログ人間のはずがデジタルの電磁波に冒されていた。

やっぱり長くなった。ひとまずここで切る。

【終日休業②9/13〜30について】

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今日で宮城県内の緊急事態宣言が解除され、明日から30日までまん防に移行する。仙台市以外の飲食店は20時まで営業可(酒類提供は19時まで)となったが、金曜はほぼ不可能、土曜のカフェタイムのみではどうにもならないので、引き続き休業することに決めた。

また店にポスターを貼りに行かなきゃ。リモートワークの金曜、朝から車で出発。のんびり下道でと戸田から浦和に抜ける国道122号を走っていたら前の車が急ブレーキ。何だと思ったら大きな旗を持った警官が立ちはだかっている。やられた、一斉検問だ。警官が俺を指差して横道に入れとの指示。そんなに出ていたか?


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60kmのところ77km出ていたという。周りに合わせてスムーズに走ってたんだがなぁ。先週免許更新したばかりなのにまた違反者講習になってしまった。

今年3月から月に何度も往復しているので捕まるリスクは当然ながら高い。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、と考えたほうがよいのかもしれない。青切符、減点1、反則金1万2千円。これって必要経費になるのかな?(笑)

夜11時半に石巻到着。金曜なのに誰一人歩いていない。ハッピーエンドもやってない。コンビニでビールを買いアパートで晩酌して寝た。

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翌朝、店へ。2週間ぶりにシャッターを上げる。カビ臭い。ドアを開けて換気。PC電源を入れてiTunesでお気に入りライブラリをかけながらWordでポスター作り。文書はすべてiCloudに入っているから楽だ。

昼過ぎにガラガラと隣のシャッターが開く音。信ちゃんだ。表に出て少し話した。

「店は平日はやれないけど金曜と土曜は時短で。でも知らない人は入れない。レコード整理しながらのんびりやります」

信ちゃんにとってハッピーエンドは店というより自分の部屋。好きなレコードをかけに毎日でもいたいだろう。客が来れば酒を出すだけのこと。山小屋もそうありたい。でもハッピーエンドほどの売りがない。「山小屋に行けば〇〇ができる」がない。CDが置ければなぁ。東京の家に3000枚はある。持ってくりゃそれなりにインパクトあると思うが。

てなことをつらつら考えながらポスター印刷。前の日付の上から新しいポスターに差し替える。ハッピーのと、向かいのおり姫の分も作ってあげた。ひとまずこれで月末まで休業できる。


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東京に戻ってもよいのだがやりたいことは山ほどある。まずはスピーカー入れ替え。東京から持ってきていたCORALをつないで無造作に転がしてあった。

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前のLo-Dはすでに撤去済み(ヤフオクで500円出品中)。あれはチャチ過ぎた。ヤフオクで100円だったもんな。届いたらあまりの軽さに驚いた。キャビネットがボロボロで90年代コンポの安っぽさに呆れた。やはり80年代単品コンポでなければ。

スピーカーならCORALと決めており、高校時代に欲しかったX-IIIを物色していたが完動品は1万円近くする。スピーカーは送料が高いからヤフオクよりリサイクルショップがいい。


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ハードオフを回るうちに綾瀬店でX-IIIの後継機DX-Three IIのコーン破れジャンク品を発見、何とかなるさと3000円で購入。2ヶ月後にヤフオクウーファーユニットを発見し7000円で落札、ユニット交換した。破れたユニットをヤフオク出品したら何と6000円で売れた。手間はともかく差し引き4000円で元気なCORALスピーカーが手元に残った。


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1本12kgもある(Lo-Dは9kg)のを壁に固定するには台座を作る必要がある。久々の電動丸鋸登場。余っていたSPF角材を6分割、H字型に組んで棚受けをねじ止め。アンカーを打ち天井から麻紐で吊るす(そのうちワイヤーと交換)。落ちることはないだろう。


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今まで使ってオーディオラックと、リサイクルショップで1000円で買ったキャビネットを入れ替えて収納力を高めた。扉を外してオープンにしてレコードや本を入れる。レコードプレイヤーも2台持ってきていた。PIONEERのPL-380AとOTTO TP-L3。ここにはOTTOを置く予定。PIONEERは家でレコードをかけたいという常連さんにあげる。

そんなこんなで夜も更け、腹がへったので冷凍していたお好み焼きを焼いて食べた。ガラガラと信ちゃんがシャッターを閉めた。俺も帰ろう。次回石巻に来るのは再来週だろうか。ワクチン2回目もあるし三連休は東京でおとなしくしていよう。

休業中の東京での過ごし方

(休みと金の話ばかりなので趣向を変えて)

半年ぶりに、石巻に帰らなくてよい週末が到来。新幹線や車で帰っていた金曜夜。さて何をやればよいのだろう?


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ギターでもいじるか。2014年頃にジャンクギターにはまり、以来50本ほど買っては売りを繰り返してきた。店を始めてからギターどころではなかったが、何本か手付かずのジャンクギターが手元にある。

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山小屋にもアコギを1本置いてある。仙台ハードオフでKOGAのミントコンディション(無傷)が2000円だった。古賀政男が関わったギターでおそらく全音製だろう。特別よいギターではないが山小屋風かなと思った。ただよく来る同級生たちは手軽に抱えられるエレキギターのほうがよさげなのでストラトを1本持って行こうと思っていた。

Jagardである。寺田楽器製というのが定評だが定かではない。ネックのプレートにMade in Japnとあるわけでもなし、ボディはプライ(合板)、ザグリ(木材に開けた穴)はガサツ、とても“ジャパンビンテージ”とは呼べない作り。アコギのJagardなら寺田楽器製でほぼ間違いないがストラトは違うだろう。倒産後にブランドが売られたんじゃないかな。店で酔っ払いが触るギターだし、かといってPhotogenicやLegendなどいかにも安いストラトじゃつまらないし、そこが俺の遊び心。


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確かハードオフで1000円だった。埃まみれズタボロだったがそういうのこそ磨き甲斐がある。パーツストックを漁ったら同じJagardのネックとピックガードがあったので交換。ネック裏に色違いの木材が埋め込まれた「スカンク仕様」なところが憎い。

配線はすべてやり直した。ピックアップセレクターがどうしても合わない。ネジ穴のピッチが違うのでセレクター本体側に穴を開け強引に取り付けた。きついのかレバーが倒れず切り替えできないが鳴るのでまぁいいか。秋の夜長を、レコードを聴きながら無心に作業した。こういう時間、久しぶりだなぁ。


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翌日はテニス。ソフトボール仲間のLINEに「テニスやろう」と書いたらちょうどキャンセル待ちでコートが取れたとの連絡。多摩川沿いの市営コートで汗を流した。膝の爆弾はほぼ鎮圧。2時間のプレー中も膝の痛みを気にすることがなかった。このまま不発で終わってくれるといいが。ラケットは去年ガットを張ったまま。テニスの頻度が上がったら張り替えよう。

コロナ前は、テニス(土曜90分)、ソフトボール(日曜120分)、ふらばーるバレー(火曜90分)をしていたが、借りていた体育館やグラウンドがコロナで使えなくなったりでポロポロとできなくなった。最後まで残ったテニスを膝痛で去年秋に辞めて、週末の時間のほとんどを店に注ぎ込んでいた。やればやはり楽しい。店は歳をとってからでもできるがスポーツは今しかできない。

ソフトは若いお父さんに世代交代でフェイドアウトだろう。テニスは60代以降もできそう。門脇に石巻ローンテニスクラブがあるので、そこに入会するのも手だ。土曜午後とか日曜午前とか。やるなら来年以降だろうな。まずは店を軌道に乗せなければ。