港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

9/27(火) 版画贋作騒動に思う

4連休を石巻で過ごし26日に東京にバイクで戻った。22日夜に出発して那須泊、温泉ツーリングで福島を回って石巻入り。24〜25日はリボーンアートフェスティバルを回った。とてもよい作品があったのでいずれ詳しく書きたい。


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お盆明けからひと月半、客を入れずに店でガチャガチャ作業していたのでだいぶ散らかっていた。10月1日から宮城は時短要請解除になるのか現時点では不明だが、解除濃厚と踏んで店内を片づけ。なんとか客を入れても大丈夫な状態になったかな。製氷機もON。2〜3日後には満杯になっているだろう。


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店先にポスターを貼った。10月2日開催の石巻一箱古本市。今年で3回目の参加になる。山小屋の通りはメイン会場から離れるので別枠扱いになってしまったが、古本市のノボリも貸してくれるそうだし、こっちまで客足が伸びてくれればうれしい。台風が心配だがまぁのんびり。

東京に戻ったら東山魁夷平山郁夫の版画の贋作が出たというニュースでもちきりだった。ネットニュースだけでなく地上波ニュースでも特集を組んでいた。それほどニュースバリューあるのかと思ったら、贋作はデパートで売られたらしく、その流通経路や鑑定能力などが騒がれているらしい。デパートなら安心して買うわな。販売価格は100〜200万円ってところか。

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最初に思ったのは「版画の贋作? 複製を複製しただけだろ」ということ。原画写真から版を起こしリトグラフなどで100枚以上製作するラージ・エディションの版画(エスタンプ)をアートと認めたくない。画家が画商に複製を許可して印税をもらうシステムで、美術品というより出版物に近い。

俺もエスタンプに関わったことがある。今回、贋作が見つかった一人の平山郁夫先生(1930-2009)の絵だった。勤めていた出版社が画商(古物商)の資格を持っており平山さんに200部程度の版画製作を持ちかけた。作品は「アンコールワット遺跡 夕陽」だった。手順は手持ちの写真の分解から始まる。画家は自分で写真を管理していることが少なく、出版社や図録屋などに委託している。うちは団体展の誌面紹介をするので、平山さんが所属する日本美術院院展)や日展など大きな団体展は必ず撮影に行っていた。9月から11月にかけての団体展シーズンは忙しい。朝8時に上野の東京都美術館に入り、開館する10時までの2時間、2班の撮影隊に分かれて会場の作品を撮りまくる。ここで撮っておけば未来永劫、自分たちの写真が使える(もちろんその都度著作権者の許可をとる)。中型ブローニーで「4の5」と呼ばれる大きなポジフィルムだ。だいたいハガキサイズ。これなら大きなポスターにまで使える。

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アンコールワット遺跡 夕陽」は1999年の院展出品作。畳6枚分ってとこか。版画はせいぜい30号、オフィス机の天板程度だ。サイズが決まったら業者にフィルムを渡して分解・色校正をするのだが、校正には院展図録が役に立つ。製作時に画家や団体のチェックが入っている(この色味で間違いない、という公式印刷物)のでそれを目標に校正を進める。再校や三校を画家に見せてOKをもらえば校正は完了だ。

鎌倉二階堂にある平山邸に色校正を持参して見てもらい、その場でOKをもらった。画家は自ら岩絵具を溶いて、どういう色で画想を表現するか腐心するので、色については画家の眼がいちばん確かだ。平山さんは「いいんじゃないですか」と言ったと思う。この「いい」には「複製画にしては」というニュアンスが含まれている。版画の色彩表現(現場)に立ち会わず、他人が製作し販売する物を頒布前に了承するというのがビジネスのルーティンである。ぼくが「エスタンプ版画はアートではない」という根拠はこの一点に尽きる。画家が製作にほとんど関わっていないのだもの。複製品をデパートで数百万円で買う神経がわからない。まぁ自分のものとして買うのでなく、取引先のビル新築や銀座クラブの新装オープンなどに贈るんだろうけれど。

色校が終われば実際にプリント…いや、版画製作に移る。版画工房の見学をしたことはないが、いちおう手刷りなんだろうね。プレス機で一枚一枚刷り上げていく(と信じたい)。多色刷りでたとえば4色同時に刷れるとして、32版なら8回刷ればよい。版を合わせたり色ムラが出ないようにしたり、それなりに高い技術は必要だ。

版画ができたらサインだ。250枚超の版画を抱えて平山邸に運び入れる。広い和室に通され、座卓のうえに版画を積み上げ、先生が一枚一枚鉛筆で「郁夫」と書いていく。ぼくの仕事はその隣で受け取り、版画に落款(印)を捺す。先生からお預かりした落款に印泥をつけて慎重に捺していった。ほかにエディション番号(何枚中何番というシリアル番号)も必要だが、これはどうやって入れたか忘れた。先生は書き入れなかったように思う。版画工房ですでに入れてあったんじゃないかな。二人とも無言で小一時間の作業。連帯感や協働意識などない。ものすごくドライな作業だった。平山さんも、こんな恥ずかしい時間を持ちたくはなかっただろう。挨拶もそこそこに、逃げるように社に戻った。
ご印税は販売価格(上代という)×刷り部数×10%なので、仮に上代150万とすれば1部あたり15万円が画家に渡る。色校1回とサイン250回で3000万円超の収入。言っちゃ悪いが「濡れ手で粟」だ。もちろんうちも儲かる。こんな楽で儲かる仕事なら誰でもやりたいと思うだろう。だがそこは先生とうちとの信頼関係だ。多種のリトグラフの大量頒布が画家としての資質や評価を下げることを本人が心配していたかどうかはともかく、売れっ子画家は「ここなら任せられる」という版元にしか版画製作の許可は出さない。雑誌や年鑑本などで画家との信頼関係を長年築いているからこそ、こういうオイシイ話を持ち掛けられる。ポッと出の画商にはできない相談だ。

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だから贋作が出る。画家との直接契約ができないので、版画を買ってスキャニングして、似たような製法で「印刷」する。スキャニングやプリント技術が進んで素人目にはわからない。デパート店員もわからないだろう。仕入れ時にすでに額装してあり、ガラス越しに鉛筆のサインや落款の真贋を見抜けるのは専門家や遺族にしかできないだろう。額の裏面に「共(とも)シール」(鑑定者名、版元名)が貼られていれば、それを信じるしかない。あとはデパートとの信頼関係次第。こちらもポッと出の画商とは付き合わないはず。なぜ贋作ばかり扱う三流画商がデパートと取り引きできたのか?

繰り返すが、エスタンプはアートではない。画家もしくは遺族(著作権者)公認の複製画に過ぎない。そんなものに100万円以上の高値がつくので、おかしな話になっている。100万円あったら、もっとイキのいい画家の一点ものが何点も買えるのに、権威主義・拝金主義から高値保証の著名画家エスタンプに触手を伸ばす。贋作画商・贋作版画家はその空疎なビジネスの虚を突いたのだ。擁護はしないが、贋作を買わされた顧客には同情できない。複製をありがたがる人には、贋作を与えておけばじゅうぶんじゃないかとさえ思う。もっと言えば、贋作だろううが真作だろうが関係ない。そこ(エスタンプ)に画家の魂はあるのか? 100万円の価値はあるのか? 少なくとも平山さんのサインを書く姿を見ていて、画家のやる仕事とはとても思えなかった。

これ以上書くとコードに引っ掛かるのでこのくらいで。