港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

門小のためならエンヤコーラ

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4月3日、震災遺構「門脇小学校」がオープンする。わが母校。門脇にあった旧実家からは徒歩5分で行けた。南浜に両親が移り住んでからは市内で教員をしていた叔母に貸していた。ともに震災で流され、南浜町の土地は居住不可となり公園整備のために売却したが、門脇のほうは高盛道路の山側なので居住可となり兄と相談して持つことにした。

「新門脇区間整理事業」で換地され、40坪あった土地は減歩され30坪になった。あまりに狭いので南浜を売った金で倍の62坪にした。デベロッパーのオオバに地図を見せされ「空いてますからどこでもよいですよ」と言われ、目に入った門小すぐ東側の土地を選んだ。門小の隣は西光寺墓地(元門脇保育所。そこにも通った)で今は墓地駐車場。わが家の墓もそこにある。角にお地蔵さんがあり、その隣だ。昔は北上無線がありキンモクセイが咲いていた。地蔵構由来碑は母方祖父の松本得蔵が建てたものだ。門脇に土地を有するにはここしかないと思った。

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できるならばここに家を建てて店をやりたかったが、震災から11年経っても街らしい風景は一向に立ち上がらず、再開発後に建った家も、点在する空き地も「売物件」の看板が目立つようになった。家を建てて戻ったり将来戻る予定で土地を売らなかったりした元住民が高齢になり、次世代が売りに出している。うちも似たようなものだ。

そんな中、門小遺構の責任者である市の室長が高校同期で、その彼から「お前の土地を門小に貸さないか」と言われた。飛び上がるほど嬉しかった。何の役にも立たなかった土地が、母校の役に立つ。「もう売れなくてよい、この土地と心中だ」と一も二もなく快諾した。

指定管理者の石巻伝承の会Oさんと会ってスペースを確認、砂利も敷きたいとのことだった。門小スタッフでやると言われたが、オープン前で忙しいのに、卒業生として地主として、そんな手間をかけさせるわけにいかない。「自分でやってみよう、それが門小への応援になる」と、リモートワークの月曜に丸一日かけて作業した。

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朝一番で砂利屋に電話して2トン車1台分を発注、午後一に来てくれるという。ホームセンターで防草シートと止め具を買い、家からハンマーとカッターとブロックを積み込んで現場に直行。この日はまた風が強かった。ロール状のシートを貼ろうとすると風で舞い上がるのを押さえるのが大変だった。一条貼ったところに砂利屋のトラックが来た。駐車スペースを示してそのすぐ後ろに下ろしてもらった。税込7000円ポッキリ。

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途中で風上から貼ると楽なことに気づいて、そこからはスムーズに貼れた。あとはひたすら砂利を撒くだけ。砂利の山に片足を乗せて点スコップでジャラジャラと撒く、撒く、撒く。1時間も撒いてると黒いシートが見えなくなる。さらに1時間撒く、撒く、撒く。砂利だけで2〜3cmの厚みが出たろうか。ここまででひとまず作業終了。あとは門小スタッフさんに任せよう。スコップをお地蔵さんの裏に隠してきた。
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作業中にTさんと西光寺の住職に声をかけられた。Tさんは「売るのはもったいないよ。門小ができればこの町は変わるから」。住職は、一人作業しているのを見て「がんばってんなぁ」と車の中から笑っていた。
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自分の土地なのでいかようにもできる自在さ、門脇の土地を有効活用できる喜び、母校門小の役に立ちたいという自我、あらゆる感情が湧き出てくる。違う場所に家を買ったのでこの土地は早く売らないといけないのに、愛おしく思えて仕方がない。売りたくない。
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たしかにこの門脇に「街」はできなかったが、3月末には高盛道路や北上川対岸に渡る大橋が開通する。一気に利便性が高まり、この門小がオープンすれば見学者がやってくる。広大で殺風景な公園と焼けただれた校舎しかない門脇南浜にどれだけの「観光」客が訪れるかわからないが、町の様相が大きく変わりそうな予感がしている。楽しいことではないが、受け入れなければならないこと。その流れの中に自身を置いてみたい。売らないで済む方法を模索しよう。駐車場に貸すのは、その第一歩かもしれない。

日本製紙の煙突に夕陽が傾いてゆく。東京に戻らねば。温泉でひとっ風呂浴びたかったが、汗だくのまま帰るしかない。えも言われぬ充足感に浸りながら門脇をあとにした。

まさか一人で砂利を敷くとは思わなかったが、門脇に地蔵構由来碑を建てた得蔵じいさんが隣で見ていると思えばがんばれた。ただの砂利だが、俺にとってはじいさんに負けない立派な記念碑だ。ここから物語を始めたい。

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