港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

ギャランGTOのバックシャン

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何を書こうとしているのかわからんがこのタイトルで書き出してみる。

昔からクルマが好きだった。物心ついた頃には身の回りにクルマのオモチャがあった。電車でも飛行機でもなく、4輪車。箱型ボディの四隅に着いたタイヤを回らせてどこへでも行ける乗り物をこよなく愛した。

なので、わが家に初めて自家用車が来た時には狂喜乱舞した。映画話を書いた記事の「サウンド・オブ・ミュージック」を観たあの小2の12月。親父のボーナスで4年落ちのカリーナ4ドア1400DXを買った。当時40万円と聞いた。ボディーカラーはメタリックゴールド、ナンバーは「宮5 み 53-06」、8トラカセットプレイヤー付、流麗な縦型リアランプ。完璧に覚えている。カリーナは、カローラとコロナをつなぐポジションとして登場、イメージキャラクターに千葉真一を使い「足のいいやつ。カリーナ」とスポーツ性を強調した。のちにセリカとコロナの兄弟車扱いとなった。

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わが家のクルマについては別記事で書くとして、ここで書きたいのは、絵を描くのが大好きだったということ。保育所にいた頃から鉛筆と紙さえあれば何時間でも描いていた。特にクルマは、街中を走るクルマからその車体や機能を覚え、ミニカーを買ってもらい、それを絵に描いていた。セダン、クーペ、バン、トラック、ダンプカー、タンクローリーコンクリートミキサー…。

描くのはだいたい横向き。タイヤは正円で描きやすいし、ボディー形状の特徴が出やすい。だが自分はクルマの全てが好きなので、クルマが最も美しい角度から見たいし描きたい。小2の冬、というか3学期の押し迫った頃だと記憶する。教室で、天から何かがフッと降りてきた。

「描ける! クルマを斜めから描けるぞ」

急にイメージが沸いた。そのクルマは三菱ギャランGTO 2000GSR。ルーフからリアウィンドウが緩くスラントし、トランクフードのエンドが上向きにピンと跳ね上がる「ダックテール」スタイル。トヨタセリカリフトバック(今でいうハッチバックGTOはトランクが独立する普通のクーペだった)と同様にアメリカ70年代マッスルカー(例えばフォードマスタング。わが家のカリーナもアメリカ車の影響を強く受けている)を真似たルックスだが、小2生にはそんな理屈はどうでもよく、カッコいいクルマとしての印象がとにかく強かった。

リアのコンビネーションランプが屈曲している造形の妙にも惹かれた。初代GTOトヨタセリカいすゞ117クーペに対抗してDOHCエンジンを搭載するMRがフラッグシップ)からセミモデルチェンジを経て、コンビネーションランプがややゴージャスになった(セリカ化したとも言える)。さらにはオーバーフェンダー化もされ(一番上の写真参照)、いわば族仕様が強まった。


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小2ながらに描きたかったのは、ダックテールとリアコンビネーションランプの造形美だったので、必然的にリアビューとなる。休み時間だったか授業中だったか、一気呵成に描いた。記憶では画面左上から右下に向かってリアを向けたフォルムだったと思う。それ以降、その向きではほとんど描かなかったが(右上から左下に向けてフロントを向けるフォルムで描いた。右利きにはそれが一番描きやすい)、天から舞い降りてきたイメージがそれだったのだろう。描ける、描ける! 俺はひょっもして天才か? きっとそう思っただろう。その絵はさすがに残っていないが、会心の出来栄えだった。

※参考図版(MR)。この時は下図のような右下向きフォルムで描いた。以後は上図の左下フォルムが主流

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クルマを斜めから描くうえで難しいのはタイヤだ。薄い円筒形のタイヤを楕円に描いて、それを覆うタイヤハウスをうまく表現できたかどうか。こちらはカッコいいクルマをカッコよく描きたいのだ。カッコよく描けなければ意味がない。そこも何とかなったと思う。立体を三次元で捉える力が身に着いていたのかもしれない。遠近法はどうだったかしらん?

クルマを三次元的に描けたうれしさから、ありとあらゆるクルマを描いた。折しも時代(1976~)はスーパーカーブーム。漫画「サーキットの狼」が大ヒットし、主人公吹雪裕矢が乗るロータス・ヨーロッパ、ライバル早瀬左近のポルシェ・カレラRS(これもダックテール)、レーサーを目指す交通機動隊員沖田のフェラーリ・ディノ246GT、隼人ピーターソンのトヨタ2000GTなど、見たことがないクルマが画面狭しと走り回るコミックの虜になり、素材には困らなかった。4年になると「2組のYはクルマの絵が巧い」と噂が広まり、休み時間には机の前に行列ができた。みんなノートを開いて一例に並んでアレ描けコレ描けと注文する。だいたい、ランボルギーニカウンタックかポルシェターボだった。フェラーリ365GTB4ベルリネッタボクサー、同365GTB/4(デイトナ)、マセラティボーラ、ランボルギーニウラッコ、デ・トマソパンテラGTS。頭の中にストックができていた。みんな喜んで教室に帰っていった。

個人的に一番好きだったのはランボルギーニミウラP400SV。60年代末の流麗なプロポーションに魅せられた(カウンタックと同じマルチェロ・ガンディーニ作)。カウンタックの先代に当たり、「サーキットの狼」では裕矢の姉ローザの恋人でF1レーサー飛鳥ミノルの愛車として登場した。

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絵の話ではないが、クルマ好きを象徴する話。3年生で書いた作文が学級通信に載った。「タクシー運転手になりたい」という内容で、おふくろが切り取ってノートに貼り付けていたのが恥ずかしかった。八木山ベニーランドでゴーカートを運転するのが楽しくて、クルマを運転する仕事としてタクシーを選んだ、町の道路を全部覚えるのは大変だが、頑張りたい――とかなんとか。今もなりたい気持ちはある。このときの体験からか、タクシー運転手という仕事に関心が強い。映画や小説、ノンフィクションをよく見たりする。見知らぬ人を乗せてドライブする職業は、なんだかミステリアスなのだ。

この時もう少し研究熱心だったら、とも思う。いかんせん観察力、デッサン力が乏しい。そもそも努力が嫌いな性質だ。例えばスケッチブックを手に実際のクルマをスケッチすればよいものを(または写真を横に並べて)、記憶を頼りにテキトーに描く怠け癖がこの頃からついていた。友達に描いていた絵も、かなりいい加減だった。もう少し真面目な性格だったら、美大ぐらいは行けたんじゃなかろうか。

小5年ぐらいになると、自分のクルマをデザインしていた。好きだったのは、リアコンビネーションランプのデザインを考えること。ブレーキ、ウインカー、バック、リフレクターをどう配置してスタイリッシュにするか、授業中に考えてはノートにびっしり描いたりしていた。将来はカーデザイナーになりたいと考えたが、親友Fの影響で子供っぽいからと公言を憚り、途中から弁護士志望になった(笑)。

高校で美術部に入ったが、クルマを描くことはなかった。部活となるとアカデミックに走ってしまう(ロックのレコードジャケットは描いたが)。クルマを美術の対象とは考えなかった。中高6年間は部活や生徒会があって、自身の趣味性をうまく醸成できなかった。

いま一度標題に戻る。正直、ギャランGTOが好きだとは思わない。当時はカッコよくても、どこか子供っぽい気がする。ほかの三菱のデザインも好きになれなかった(80年代後半のギャランセダンは素晴らしかった。バブル期に誕生したクルマは捨てがたい)。好きなクルマ(デザイン)については、そのうち改めて描いてみたい。

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