12/10(金) 悲嘆克服の道を一人歩む
9日夜に福島に泊まった。3年ぶりの置賜スナックH。コロナ禍で来店自粛を求められていて、この夏にやっと明けたが、店で忙しくなかなか寄れなかった。コロナ前はずっとここでいろいろと相談していたので、年内に一度寄ってまゆみママにあれこれ報告したかった。
前日にLINEを送ったら、本当は休みだけどと開けてくれた。チェックインを済ませ21時に訪問。当然ながら俺一人。3年前に入れた三岳のボトルが置いてあるカウンターに座り、この2年間のことをコンコンと話す。主に山小屋のこと。どこから話してよいかわからず手当たり次第に。ぎこちないトークになったが、全部受け止めてくれるので話しやすい。やはりこの店はいい。うまく言えないが、いい。バイトのK子さんはもう来てないという。仙台に帰ったのだろうか。
途中でNHKのSONGSを観た。ママが好きなMISHAが出るという。航空自衛隊東松島基地で唄った歌を一緒に聴いた。なんだか不思議な夜だった。久々にママとデュエットするかなと思ったけれど、カラオケをする雰囲気でもなく、閉店までずっとしゃべった。それでよかった。また来たいが、次はいつになるだろう。
翌日は伊達を通って宮城入り。梁川の伊達市立美術館に寄ったら、地元出身の彫刻家・太田良平のひどいこと。端正な女性ばかりで精神性のカケラもない。企画展は絵本作家のいわむらかずおの世界。地元小学生の校外学習で賑わっていた。こちらも縁がない。
丸森に抜ける阿武隈川沿いの県道を走っている時、ラジオがYBC山形放送に切り替わった。テレフォン人生相談室。子どもではなく大人のなので、かなりシリアスな内容。女性の相談で、20歳の娘に暴力をたびたびふるってしまい家を出て行った、どうすればよいかという相談。ガーガーとノイズがひどく、誰が相談を受けているのかわからなかったが、あとで調べたら加藤諦三(社会学者)だった。50年以上やってるらしい。
一部、隣の弁護士のアドバイスを受けながらのカウンセリングだったが、面白いことを言っていた。女性が娘に暴力をふるうのはかつて親から受けたDVが遠因しているという診断で、彼女にこう説いていた。
「あなたね、お父さんから受けた暴力とかひどいことのありったけをノートに書きなさい。ちょっとじゃダメ。ぜんぶ事細かにね。もう一字も書けないってくらいに書いたらね、そのノートを燃やすなり、川に流すなりしなさい。そうやって過去の自分とサヨナラするの。そうしたら、娘さんに対する態度は絶対に治ります」
よくあるカウンセリングだろうけど、そうかもしれないなと肚にストンと落ちた。これは儀式なのだ。心理学的、専門的に何というのかわからないが、儀式を通過することで過去のルサンチマンやトラウマ、グリーフ(深い悲しみ)と決別し得るというのはあるだろうし、実際に俺がそうだった。あれは意識的にではなかったが、あの年の夏祭りの日に、ひとり北上川で「儀式」をおこない、肉親の死を受け入れることができたんだろうなと、ラジオを聴いて得心がいった。
誰もが同じように、儀式を通じて不幸を克服できるわけではないけれど、乗り越えられずとも「受け入れる」ところへはどうにか近づきたい。悲しみを過去に追いやるためのさまざまな儀式が、あの日以降、連綿と続いていたと思う。葬式、墓の再建、手作りの慰霊碑、自宅跡での合掌、西光寺での念仏・回向、町の復興見届けなどなど。もちろんどれもが手探りで時間がかかることだし、仕事や家事や趣味などの日々の営みのなかで、悲嘆で大きく空いた穴を少しずつ埋めてゆくことしかできない。それでも何がしかのセレモニーを意図的に挿し込むことで、「これで一区切りついたな」と思い込むことは、前を向いて一歩を踏み出す力になるだろう。
そんなことを考えているうちに松島近くまで来た。まだ時間があるので、湯の原温泉に寄った。鉱泉を沸かしている古湯で冷えた体を温めて石巻に向かった。19時には店を開けられそうだ。石巻で山小屋をやることもまた、俺にとっては一里塚なのかもしれない。