港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

さらば、アタックチャンス。

クイズ番組「アタック25」が9月で長い歴史の幕を閉じた。日曜午後、お茶の間に憩いの時間を提供し続けた長者番組だ。お疲れ様と言いたい。

朝日新聞】最後のアタックチャンス!「アタック25」46年の歴史に幕

https://www.asahi.com/articles/DA3S15056014.html (記事全文は最下欄に)

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チャンネルはテレビ朝日系列(宮城では東日本放送)だが制作は大阪朝日放送(ABC)。児玉清さんのクールな進行で関西制作を感じさせなかった。思えばほかのクイズ番組のMCも俳優が多かった。タイムショック田宮二郎クイズグランプリの小泉博など。田宮死後は山口崇だったか。

ちなみにこの前の時間帯「新婚さんいらっしゃい」は大阪丸出し。最後の景品ゲームに出てくるYes/Noマクラの意味がわからなくて、親に訊いたらとても困った顔をしていたのが思い出深い(笑)。

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さて本題。93年だったか思いつきでアタック25の東京予選に出場したことがある。当時勤めていた会社後輩に「博識なんだから出てみたら? 後ろの応援団席で応援しますよ」とおだてられて、話のタネに応募ハガキを出したら書類選考を通過した。

呼ばれたのは芝公園朝日放送東京支社のビルだ。広い会議室に通され、50人ほどで筆記試験を受けた。笑ったのはディレクターがラジカセを持ってきて、開始前に番組のテーマ曲を流したことだ。♫パネルクイズ〜ニジューゴ〜シャンラララランシャンラララン〜。ムードを盛り上げようとしたのかしらん。

試験の出来はあまりよくなかった。一個だけ覚えているのは「国や地方公共団体の予算や会計などの検査を行う独立機関の名前は?」という問題で「会計検査院」と回答したこと。まぁ無理だろうなと30分ほど待っていたらディレクターが戻ってきて二次面接に進む名前を読み上げ、何人目かに名前が呼ばれた。まじか。全部で7〜8人いたと思う。

小さめの会議室に全員で入り一人ずつ面談を行う。3〜4人のスタッフが座り、真ん中のディレクターが進行・質問していた。住所や職業など、時に会社の実名を挙げてかなり突っ込んだ質問をされた。

通信衛星ラジオ局? どんな会社なんですか? そこでどんなお仕事を?」

答える内容よりもそれらをどんな感じで話すのか、回答者のキャラクターを重視されたように思う。クソ真面目に「朝日放送様にもご出資いただいております。開局したばかりですがCS-PCMという電波そのものが認知されておらず苦戦しています」などと話した。バブル崩壊直後でネガティブなことしか言えない状況だった。趣味は特に訊かれず職業(会社名)で引っかかっただけのこと。社会人3年目、笑顔の少ない実直総務マンだったのでウケがいいはずがない。案の定、数日後に落選通知が届いた。

平成に時代が変わったその頃には、昭和の視聴者参加クイズ番組は低調を極め、「ドレミファドン」や「平成教育委員会」などタレントが回答する番組が増えた。「100人に聞きました」「アメリカ横断ウルトラクイズ」などは頑張ったほうかもしれない。

これ以上、特に書くことはないのだが(笑)、一度でよいからスタジオで本戦に出てみたかったーーという話。今なら「山小屋店主」ということで面接に通過する自信はあるんだがなぁ。

(記事全文)

初代司会に児玉清さんを迎え、「パネルクイズ アタック25」(ABCテレビ制作、テレビ朝日系)が始まったのは1975年。当時は、「アップダウンクイズ」(TBS系)や「クイズタイムショック」(テレ朝系)などクイズ番組の全盛期で、多くは視聴者参加型だった。アタック25も一般から募集。これまでの出場者は9千人以上にのぼる。

オセロのように25枚のパネルを取り合うことで、解答者はクイズの知識や勝負師のセンスが問われることに。「お手つき」覚悟の早押し競争も、視聴者の目を引き付けた。そして、終盤の大逆転を可能にするあのルール。「アタックチャンスのもたらす予測不可能でスリリングな展開が、長年の人気を支えてきたのでは」と同番組の秋山利謙プロデューサーは推測する。

ただ近年は、よりマニアックな知識を問うクイズ番組が台頭。アタック25の視聴率は5~6%台で、ピーク時の24・2%(1979年、関西、ビデオリサーチ調べ)に比べると大幅に下がった。マンネリ化も指摘されており、幕引きを迫られる形となった。

最終回は26日午後0時55分から。歴代王者の中から、決勝ラウンドに進んだ4人が解答席に座り、おなじみのルールでパネルを奪い合う。(西田理人)

■テレビ見ない若者に危機感 長寿番組、相次ぐ終了  「メレンゲの気持ち」「とくダネ!」「ちちんぷいぷい」――。今年は数々の歴史的番組が引退した。  ABCテレビの山本晋也社長は7月、定例会見でこう説明した。「若年層のターゲットを考える上で、コンテンツの見直しをしていかなければなりません」

強調したのは、U49と呼ばれる49歳以下の視聴者の獲得強化。NHK放送文化研究所の昨年の調査結果を引き合いに出し、「10、20代はこの5年間で大きく下がっている。この層に届くコンテンツを作っていくのは当然のこと」と危機感をあらわにした。

調査によると、平日に15分以上テレビを見た人は、10~15歳が56%(2015年は78%)、16~19歳は47%(同71%)、20代では51%(同69%)。10、20代の半数がほぼテレビを見ない結果になり、業界を震撼(しんかん)させた。

アタック25の視聴者も中心は中高年層で、クイズの出演者も40代、50代が多い。いつの間にか、U49向けの戦略にはなじみにくい番組になっていた。

売りだった素人参加型も、時代とともに変わった。リアルタイムでなくても番組を見られるTVer(ティーバー)などが普及し、いまや配信ありき。準キー局の制作担当者によると「出演者の中に素人が交じっていると権利関係がややこしくなる。使い勝手を考えると、事務所を通してやりとりができる芸能人ばかりの方が都合がいい」。

背景には、スポンサーの意向も影響している。若い世代に商品を買ってほしいという要望に応える必要がある。ただ、若者たちを振り向かせるハードルは高い。人気ユーチューバーを起用したり配信と連動した番組を作ったりと必死だ。

しわ寄せは結局、約20年、30年と続く長寿番組へ押し寄せる。

だが、放送が終了したからといって、すべてが終わるわけではなさそうだ。ABCテレビの山本社長も「これでアタック25が世の中から消えるということではない。また違う形の展開があるかもしれない」と、その可能性を示唆する。

近年は、往年の番組を海外へ売り出すビジネスも盛んだ。制作のアイデアや演出、スタジオセットといった番組作りのフォーマットが海を渡り、現地版として新たに制作されることで、2018年度のフォーマット・リメイク権は約41億円(総務省)。5年前の4倍以上に上る。

昭和の人気恋愛番組「パンチDEデート」(関西テレビ)は2013年、ベトナムで現地版の放送を開始。1985年の最終回から30年近くたった復活だった。 (土井恵里奈)

■近年放送終了した主な長寿番組 ◇笑っていいとも!  フジテレビ 1982~2014 ◇はなまるマーケット  TBS 1996~2014 ◇とんねるずのみなさんのおかげでした  フジテレビ 1988~2018 ◇めちゃ×2イケてるッ! フジテレビ 1996~2018 ◇『ぷっ』すま  テレビ朝日 1998~2018 ◇メレンゲの気持ち  日本テレビ 1996~2021 ◇とくダネ!  フジテレビ 1999~2021  (「とんねるず~」は前身番組「~おかげです。」時代含む)

■放送の続く主な長寿番組  番組名・制作局・放送開始年 ◇NHKのど自慢  NHK 1953 ◇MUSIC FAIR  フジテレビ 1964 ◇笑点  日本テレビ 1966 ◇サザエさん  フジテレビ 1969 ◇新婚さんいらっしゃい! ABCテレビ 1971 ◇徹子の部屋  テレビ朝日 1976 ◇タモリ倶楽部 テレビ朝日 1982