港町の山小屋だより

2021年5月、被災地石巻に焼酎と洋楽を楽しむBAR「山小屋」がオープン。東京でサラリーマンをしながら毎週末に石巻に帰ってバーを開く生活を続けて2年。そして2023年4月、37年ぶりに石巻にUターン。昼間の事務職とバー経営の二足のワラジを履くオーナーYがゆるーく情報発信しています。

11/3(月祝) 同期会ポスター、帰途へ

8時 3日間の衣類、部屋のシーツ等を一気に洗濯

9時半 徒歩で駅前へ。ファミマで同期会ポスターをB4で10枚出力。地元紙「石巻かほく」に寄る。知り合いH記者は不在で別の記者が応対。門脇中で同期会をやる意味を力説してきた。取材入ればよいが。

10時 リサイクルショップ数軒。買ったもの

・掃除機2500円

・書類ケース200円

・クリップライト300円

・3連ペンダント(部品のみ)100円

山下のR1は動作確認や保証もつきながら格安。常用したい

11時 南浜つなぐ館。若い眼鏡のスタッフ。ポスターを貼ってくれと何枚か置いてくる。外へ出ると東側に伸びる道がすぐそこで通行止に。俺の実家前まで行けなくなっていた。ビニールハウス沿いなら行けるのでいつもの場所で手を合わせる。かさ上げ工事が進むとどうなるのだろうか?

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11時半 まねきショップ。ポスター見せて店と門脇復興公営住宅(東西)に貼ってもらうことに。テニスコートに行き本間さんにも説明。門中の話を聞く。同窓会長が入院したので代わりに閉校記念誌に原稿を書くことになったそう。校歌のCDか楽譜はないかと聞いて、資料を探してもらったが出てこなかった。「ここに何か入っているかも」と退職校長会が作ったCDを渡された。本間さんと知り合いだといろいろ教えてもらい助かる。

12時 隣の西光寺へ。副住職にポスター依頼。「んでここさ貼っから。釜小学区はだいぶ死んでんだど。みんな大川小ばっかり言うげっと集まったらいろんな話聞かされっぺな」。確かに。

12時半 B4がなくなり双葉町セブンイレブンで出力。思い切って店長にポスター掛けあったらOKとのこと。ここは学区の真ん中、ありがたい。直営じゃなくフランチャイズだと店長判断で行けるのだろう。斜め向かいの石巻日日新聞は閉まっていた。A4モノクロを3つ折にして郵便受けに投函してきた。取材くるだろうか? 東京屋食堂は火曜定休日だった。残念。山下に移転したばかりの雲雀でルーロー飯。

13時 ようやく店へ。買ってきた掃除機などを運びこむ。

14時 徒歩でかわまちへ。かほく記者から「げんき市場」に貼ってもらうとよいと言われたのでマネージャーに掛け合ってOKをもらう。予約ノートとコーヒー持ってきたので店を使うと思われたようで申し訳なかった。東京の名刺を渡したり同期の知り合いの名前を出したり、変な客と思われただろうな。石巻で偉い?人に会う時はいつも緊張する。はやく山小屋の名刺を作りたい。

14時半 店に戻り郵便受けとキーボックスを設置。これで水道や電気の伝票、郵送物が受け取れる。Amazon系はアパートで受け取ろう。キーボックスの暗証番号をTちゃんにメールで伝える。今日はどちらからも連絡なし。最終日はいつもそう

15時 出発。イオンで給油。未来屋に寄ってS子に会いたかったが、あげる約束をしていたカレンダーを全部店に置いてきたことに気づく。また次回。幹事グループやTちゃんとメールしながら国道を南下。高速に乗ってさっさと帰りたいが高速代がもったいない。今回は椿南交差点から県道406に入り岩槻へショートカット。「この道はいいな。次はこのルートで帰ろう」と思うのだが、たいがい別の道を選んでしまう。この10年、いったい何回石巻に行ったろうか? そのたびに違う道を選んできた気がする。これからもそうなるのかもしれない。道は星の数ほどあるのだ。会社にこのまま定年まで残る道もあれば、辞めて店をやる道もある。人生の岐路での決断を、その時の気分次第でというわけにはいかないが、間違えたら元の分岐点に戻ればよいこと。辞めた会社には戻れないだろうが、そこにも多数の選択肢はあるに違いないーーそんなことを考えながら運転していたら都内に入っていた。0時帰宅。グッスリ眠ろう。お疲れ様でした。